選ばなかった未来
石神千空のことが好きだなあ、と思ったのは、いつからだっただろうか。
ツンツンに逆立った髪。
異質すぎる白衣。
荒っぽすぎる口調。
よく見れば整った顔をしているのに、言動が混沌すぎて、誰もそこに触れない。
──ほんともったいない。
遠巻きにされていた学生時代を思い出して、少しだけ笑う。
ダイニングテーブルに視線をやれば、そこには、いつも通り黙々とPCに向かう千空の姿。
本来なら、書斎で作業したほうがずっと効率がいいはずなのに。
私がいる時間は、よほどのことがない限り、こうしてリビングに居る。
その理由を、わざわざ口にすることはないけれど。
(……まあ、わかるけどね)
私はソファに身体を預けたまま、特に何をするでもなく、そんな背中をぼんやり眺める。
気付けば、そのまま溶けるように時間を潰していた。
──今も、そうだ。
「ねえ、千空」
ふと、思いついた疑問をそのまま投げる。
「千空ってさ、いつから私のこと好きだったの?」
キーボードを叩く音が、一瞬だけ止まった。
「あ?……忘れたわ、んなこと」
何でもない顔で返して、すぐにまた作業に戻る。
「えー、ほんとに?」
「んなもん覚えてる方がキモいだろ」
「ひどっ」
思わず口を尖らせる。
「私は、いつだったかなあ……。高校生になってから、とかかな」
「最近じゃねえか」
「最近じゃないでしょ!もういい大人だよ?」
「生きてきた日数で考えろよ。高校時代なんか、ついこの間だ」
「そんな計算してるの千空くらいだから!」
クッションに顔を埋めて抗議すると、千空が小さく鼻で笑った気配がした。
少しだけ間を置いて、また言葉を転がす。
「ねえ。千空と高校のときに『彼氏彼女』してたらさ」
視線を天井に向けた。
「今と関係、違ったのかな」
「……違わねえだろ」
間を置かずに返ってきた声。
「なんで?喧嘩して別れて、はいサヨナラ!ってなってたかもよ?」
今度は、はっきりとキーボードの音が止まる。
「……テメーが出来るわけねえだろ」
「なんでよ」
「さっきはゴメン!って泣きついてくるのがオチだ」
「千空が拒否するかもじゃん?」
「……俺が?」
椅子の向きが変わる音。
「……ありえねえだろ」
そのまま、まっすぐ視線が向けられる。
少しだけ、空気が変わる。
「じゃあさ」
クッションを抱え直して、身体を起こす。
「高校じゃなくて、ストーンワールドで私が告白してたら?」
「……」
「そのときの千空なら、拒否してたかもよ」
今度は、否定が返ってこない。
ただ、じっと見られている。
「だってさ。あの頃、お互いいっぱいいっぱいだったし」
「千空、自分で言ってたじゃん。恋愛脳は封印って」
わざと軽く言ったつもりだったのに、言葉の奥に残る温度が、少しだけ重い。
「今じゃないな、って思ってさ。だから言わなかったけど」
視線を落として、クッションの端をぎゅっと握る。
「……でも、何回も迷ったよ」
一拍。
「言おうかなって」
空気が、静かに沈む。
「たぶん…」
顔を上げる。
「私が告白してたら、千空、拒否してたと思う」
「で、拒否されたら──諦めようとすると思う」
「……いや、違うか」
言い直す。
「千空の前から逃げてたかも」
少しだけ笑う。
「…近くにいたら、諦めきれなくて、ずっと好きで。でも拒否されてるから、どうしようもなくて」
喉の奥が、少しだけ詰まる。
「……無理だよ……たぶん、耐えられない」
その瞬間。
視界がふっと塞がれた。
気付けば、千空がすぐ目の前にいて、そのまま腕の中に引き寄せられる。
「……否定はしねえ」
頭上から落ちてくる、低い声。
「確かにあの時、テメーが言ってきたら、拒否してた」
「でしょ?」
少しだけ笑って、顔を上げる。
「理解力高い幼なじみでよかったでしょ?感謝してよ?」
「逃げるパターンは想定してねえな……」
「え、なにそれ。失って初めて気づくやつ?」
「……そうなってたかもな」
ぎゅっと、腕の力が強くなる。
「……あえてラベル付けしなかった結果か」
「いや、それはもうちょいどうにかしてほしかったんだけど?」
茶化すように言って見上げると、千空が小さく息を吐いた。
「結局、最適解で来たんじゃねえか」
「……千空はバツイチ、彼女持ち、の過去アリだけどね?」
「……案外、根に持つな」
「だってさ。私は初婚の彼氏なしで人妻になったのに」
一瞬、間。
次の瞬間、千空が吹き出した。
「ハッ、それはそれは」
少しだけ顔を寄せてきて、
「お大事にしねえとな」
「ほんとだよ!大事にしてよね!!」
抱きしめ返して、肩に顔を押し付ける。
「千空」
「……なんだ」
「ずっと一緒にいてね」
一瞬だけ、間があって。
「あァ」
低く、でも迷いなく。
「飽きても返品不可だからな」
「え、わたしが返品する側なの?」
「手綱握ってんのはテメーだろ」
「えっそうなんだ!?じゃあもっと振り回さなきゃ!」
「勘弁してくれ」
その声に、思わず笑いがこぼれる。
そのまま、ふたりで小さく笑った。
それだけで、十分だった。