二輪車への道
「自転車ぁ?」
放課後の通学路、俺の白衣の裾を掴みながら、香穂が消え入りそうな声でそんなことを言い出した。
「うん、みんな乗れるって……せんくうは?」
「あー、まあ100億%乗れるな」
事実だ。
大樹とロケット作りの材料を買い出しに行ったり、河川敷の実験場まで重い機材を運んだりするのに、自転車は合理的な移動手段として必須だ。
俺が当たり前のように答えると、香穂はさらに俯いて、蚊の鳴くような声で白状した。
「……わたしまだ……乗れない」
……ハッ、そういやそうか。
こいつと居る時は、いつも徒歩だったからな。
「乗りてえのか?」
「うん。補助輪……はずかしい。みんな、ついてないもん」
「………しゃーねえ。テメーの三半規管を二輪走行に適応させてやる。手伝ってやるよ」
それから毎日、放課後の公園は特訓場と化した。
物理法則からすれば、自転車は一定の速度さえ出せればジャイロ効果で自立する。理屈は簡単だ。
だが、香穂の脳内にある転倒への恐怖が、その理屈まで到達しない。
「前を見ろ!下を見るな、重心がブレるぞ!」
「う、うん……!せんくう、離さないでよ!?絶対だよ!?」
「あー、離さねぇよ(今はな)」
案の定、手を離せば派手にバランスを崩して地面と衝突。
膝を擦りむいて、顔をぐしゃぐしゃにして大泣きしながら帰るなんて日もザラだった。
(……これじゃ、もう『やりたくない』って逃げ出すか?)
そう予想していたんだが。
翌日、マンションの駐車場に現れた香穂は、絆創膏だらけの足をしながら、口を「への字」に結んで俺を睨んできた。
「……きょうも、やる」
ハッ、何だその唆る顔は。
「上等だ。今日こそ補助輪卒業すんぞ」
特訓開始から2週間ほど経った、ある日の夕暮れ。
俺は香穂の背中を支えて走り出し、絶妙なタイミングでその手を離した。
慣性の法則に従って、香穂を乗せた鉄の塊が、夕日に向かって真っ直ぐに進んでいく。
「おー!香穂!乗れてんぞ!!100億%自立走行成功だ!」
「え!!せんくう!!せんくう!!のれてる!?わたしのれてるの!?」
「おーーー!!」
「やった~~!!せんくう、見て、見て――!!」
あまりの嬉しさに、俺の方を振り返ろうとする香穂。
「お、おい!前見ろ前!!」
「えー?まえ?……わあっ!!」
案の定、視線につられてハンドルが切れ、香穂は盛大に花壇に突っ込んでいった。
「う、うあああ~~~ん!!いたぁぁぁい!!」
結局、最後はまた大泣きしながら、俺が自転車を引きずって、さらにあいつの手も引いて帰ることになった。
だが、夕闇に響くあいつの泣き声を聞きながら、俺はポケットの中にある、デジカメの中身が気になって仕方なかった。
(転んで泣きっ面のデータは、極秘フォルダ行きだな……)
そんなことを考えながら、俺は泣きじゃくる香穂の手を引いて、夕暮れの道を歩いて帰った。