告白代行の失敗例
「告白代行?……なんだそれ」
まだ千空の声が、今より少しあどけなく高かった中学時代。
放課後の理科室で、私は千空に言われた通り、謎の基盤へハンダ付けをしていた。
じゅわ、と銀色が溶ける。独特の焦げたような匂いにも、最近ではすっかり慣れたものだった。
「頼まれてさ。代わりに告白してほしいんだって」
作業机の向こう側で、千空は顔も上げずに言う。
「……意味あんのか、それ?」
手さえ動かしていれば、千空はわりと話を聞いてくれる。だから私も、なんとなく最近の出来事を口にしていた。
「さあ?私も頼まれるからやってるだけだし」
「は?待て。一度じゃねぇのか?」
「うん?もう、何人か頼まれてやったよ」
その瞬間、千空が露骨に嫌そうな顔をした。
「……陸上バカに頼むようなことかよ」
「陸上バカじゃないから……あ、でも、筋肉も少しついてきたよ?」
自分の二の腕を掴んでみせる。ぽよぽよした感触。
それを見た千空が、鼻で笑った。
陸上部の私は、本来ならこの時間グラウンドにいることが多い。けれど先日肉離れを起こしたせいで、今はまともに走れない。
顧問からは「完治するまで休養」と言い渡され、私は驚くほど素直に従っていた。
もともと友だちに誘われて、なんとなく入った陸上部だ。走るのは好きになったけれど、記録へ命を懸けるタイプでもない。
怪我したなら休めばいいし、休んでいいと言われたなら喜んで休む。
そんな、のんびり参加勢の陸上部員。
走れないせいで暇になった放課後に、自然と入り浸るようになったのが、千空が勝手に理科室でやっている(自称)科学部だった。
「……うーん。私って、そんなに頼みやすそう?」
「あー。まあ、テメーどうせそういうの興味ねえだろ」
「……それ、どの口が言うの?科学バカに言われたくないんだけど」
「テメーよかマシだ。遊びで陸上部入ったくせに、肉離れ起こすほどマジでやってんじゃねぇか」
千空の視線が、私のふくらはぎへ落ちる。
「肉離れくらい、よくあるでしょ?」
「ねぇよ」
喋っている間も手は止めない。じゅわりと溶けるハンダが、銀色の塊となって基盤の上へ盛り上がっていく。
「千空、できた……けど、なんか伸びちゃった」
「どれ……いや、こんくらいなら問題ねぇ」
「最後、銀色のスライムの集団みたいに見えてきてたよ」
「たしかにスライムみてぇな形多いな」
千空は楽しそうに笑いながら、基盤を傾けた。
「やるじゃねぇか」
ちょっと嬉しい。
ふと千空の向こう側の壁掛け時計が目に入り、私は勢いよく立ち上がった。
「あ!やば、こんな時間だ!」
「なんだ?」
「ほら、さっき言ったでしょ!告白代行!C組の子に頼まれたの。サッカー部の人にだって」
ポケットから手紙を取り出して、ひらひら振ってみせる。
千空は「ほーん」とだけ返してきた。
「サクッと代行してくるね!」
私は片足でぴょこぴょこ歩きながら、理科室を後にした。
*
対象の男子を呼び出すことには成功した。校舎裏で、私は預かっていた手紙を開く。
「えーっと、C組の子からの伝言ね」
紙へ視線を落としながら読み上げる。
「『サッカーしてる姿を教室からずっと見てました。好きです。付き合ってください』だそうです!返事は手紙でも直接でも――」
「あのさ」
途中で遮られて、顔を上げる。
「岩瀬さんって、付き合ってる人いないの?」
「私?付き合ってる人?……いないよ?」
すると男子は、少し照れたみたいに笑った。
「俺さ、ずっと陸上部見てたんだよね。最近見ないと思ったら怪我したの?」
視線が私の足へ落ちる。
「ああ〜、肉離れ。大したことないんだけど走るなって言われて」
「そうなんだ」
「走れないと暇なんだよねえ。だから最近放課後はずっと理科室」
「石神のとこ?」
「そう、幼なじみ」
男子が一瞬だけ校舎へ視線を向けた。
「付き合ってんの?」
「えっ、違う違う!」
「そっか」
「家が隣なだけ!」
「……ならよかった」
「うん?」
男子が、不意に距離を詰めてくる。
「えっなに」
「俺、岩瀬さんのこと好きなんだけど」
「は?……えっ?」
頭が追いつかない。
「部活中見てたんだよ。校舎のほう見て、笑って手振ってるの可愛くてさ。ずっと見てた」
「校舎?そんなことしてたっけ」
「いつもやってたよ。1階の奥あたり見て、手振ってたじゃん」
──1階奥。理科室だ。
そこでようやく、自分が誰へ向かって手を振っていたのか気付く。
「代行じゃなくて、岩瀬さんが俺に会いに来てくれたんだと思った」
「いや、それは違うよ!?」
圧がすごい。まずい。なんかちょっと、思ったより距離が近い。
「マジでめちゃくちゃ嬉しいんだけど」
その瞬間だった。
「香穂」
後ろから聞こえた声に、私は勢いよく振り返る。
「千空!!」
「……石神?」
千空の赤い瞳が、やけに近い男子との距離を捉える。わずかに、その眉が寄った。
「帰るぞ」
「まって、千空!!!」
私は慌てて預かっていた手紙を男子へ押し付けた。
「これの返事は本人におねがい!!あと、私の返事はごめんなさいで!!」
雑に頭を下げて振り返ると、千空はもう数歩先を歩いていた。
私は慌てて千空の元へ走ろうとする。
「あっ、痛っ!!」
傷めていたことがすっかり頭から抜けて走り出した瞬間、ふくらはぎに鋭い痛みが走った。
「んな急に走っからだろ……」
「だって置いてかれると思った」
ふくらはぎを押さえていると、先を歩いていた千空が面倒そうに戻ってきた。
「さっきの……」
「うん?」
「さっきの、なんだ」
「あーー、なんか逆告白?よくわかんないけど、私のことずっと見てたって言われた」
「……返事は」
「聞いてなかった?ごめんなさいって言ったよ?」
そもそも、と私は肩を竦める。
「頼まれたから呼び出しただけだし、誰だか知らないし」
すると千空が、無言で手を差し出してきた。
「ん?」
「掴んで歩いたほうが歩きやすいだろ」
「やった!ありがとう」
手を取った瞬間、そのまま千空の二の腕へ引き寄せられる。
「あ……」
置いていく気なんて最初からなかったみたいな歩き方に、私はなぜか少し笑ってしまった。
「ねえ私、部活のとき千空に手振ってた?」
「あ?……あー、振ってんな」
「そうなんだ……全然意識してなかった。さっきあの男子に言われて知ったよ」
「……なんて言われた」
「校舎に向かって、笑顔で手振ってるの可愛かったって。そんなことやってたっけ?って思ってさ」
少し考えて、私は納得する。
「そっか。私、千空見てたんだ」
千空は一瞬だけ黙った。それから、わずかに眉を寄せる。
「……代行、まだやんのかよ」
「いや、もうやらない……なんかさっき、ちょっと怖かったし」
「そうしとけ」
即答だった。
手を引かれたまま歩く。
いつの間にか、校舎の窓がオレンジ色に染まり始めていた。
「あー、肉離れいつ治るのかなあ」
ぼやくと、千空が小さく鼻で笑う。
「治ったら、また手ぇ振れよ」
「……へ?」
千空は答えず、そのまま少しだけ歩く速度を上げた。
2026/05/21
2026/05/21