●温泉行こ!
「おはよ……あれ、だらけ千空!?」
香穂がボサボサ頭のまま寝室から出てくる。
リビングで、千空がラグの上に仰向けに転がって雑誌をめくっていた。
ぱたぱたと駆け寄って、そのまま横に座り込む。
「めちゃレア!SSR?」
「あ?んな訳ねえだろ。俺だって転がるわ」
「それをだらけてるって言うんだよ」
千空は一度だけこちらを見て、すぐに雑誌に視線を戻した。
「……効率のいい休息だ。無駄じゃねえ」
「同じだよ?」
「同じじゃねえ」
香穂が勢いよく立ち上がる。
「じゃあさ……」
リビングの隅、鍵の置き場へ直行すると、ひらっと車の鍵を掲げた。
「温泉!!温泉いこ!!」
「はあ?どこの」
「石神村!!」
「近すぎんだろ」
「いいじゃん、車出すよ?私運転するから乗ってるだけでいいよ?」
「アホか。テメーの運転が『乗ってるだけ』になるわけねえだろ。俺の車が死ぬ」
「えーーー」
「はー、仕方ねえ。貸せ、俺が運転する」
「やったー!」
「……温泉な」
千空は鍵を指でくるりと回した。
●温泉行こ!車内
「千空なにか食べる?」
軽快に走る車中。
お菓子をカバンから出そうとして、運転席から伸ばしてきた千空の手に止められた。
「やめとけ!着く頃には昼だ。昼食えねえって泣くのはテメーだぞ」
「お菓子は別腹」
「テメーは牛か。人間の胃袋はひとつだわ」
「牛の胃袋ってそんなにあるんだっけ?8つ?」
「4つだ4つ!倍にしてどうすんだ。…ミノ、ハチノス、センマイ、ギアラな」
「焼き肉じゃん!!」
「ゴムみてえな食感はだいたい胃袋系だな」
「焼き肉食べたい…」
「…さっきまで蕎麦食うって騒いでなかったか…」
「胃袋4つもあれば分別できるね」
「……なにを分別する気だ…」
「ごはん、おかし、チョコ、コーヒー」
「菓子とチョコは同じだろ」
「おかし(しょっぱいもの含む)」
「糖度の有無で分類か…」
「バナナはおやつに入りますか!?」
「おやつの項目ねえだろ」
「あ、そうか。じゃあおかしのカテゴリでいいかな」
「…ガバガバだな」
「で、どうする?」
「なにが…」
「お昼ごはん」
「温泉行くんじゃねえのか…?」
「そうでした!あ、風呂上がりにアイス食べたい!」
「のぼせんなよ。……結局食い物か」
●温泉行こ!風呂上がり
風呂上がり。
ぱたぱたと手うちわで扇ぎながらロビーに行くと、すでに千空がベンチに座っていた。
「おまたせ!お湯、めちゃ熱かったね」
千空がスマホから視線を上げる。
「顔真っ赤だぞ?」
そう言いながら、手の甲が首すじに滑る。
「ん?暑いだけで、熱じゃないよ?」
「……」
一瞬だけ、手が止まる。
「…ただの確認だ。気にすんな」
火照った身体にその体温が気持ちよく、そっと瞼を閉じる。
「千空の手もうひんやりしてるね?結構待った?」
千空の手が、首すじからわずかに上がる。
──ふっと、離れた。
「あ?…18分くらいか」
「え!そんなに!?出るのはやくない!?」
「血液は1分で体内一周するからな。あんなアチィ風呂5分も入れば充分だろ」
「えええ…せっかく2時間かけて来たのに…」
「たかが2時間だろ」
「…もう一回、入ろっかな…」
「アホか。のぼせて倒れんぞ」
はあ、と大きなため息をついて千空が立ち上がる。
「アイスでも食って帰るぞ」
「あっ!たべる!!」
香穂はご機嫌で千空の後ろに付いていくのだった。
●温泉行こ!帰路
助手席で香穂が、薄暗くなった街並みを眺めていた。
「寝ていいぞ」
「…うーん、眠くないし」
千空の腕時計に目をやって、ぽつりと言う。
「なんか寝るのもったいない気がする」
「なんだそりゃ」
千空が鼻で笑った。
「明らかに口数減ってんぞ」
「あ!『静かな方が異常』みたいな言い方してる」
「間違ってねえだろ」
「静寂を楽しんでるの」
「やかましい車内で使う単語じゃねえぞ」
「伝わればOK」
「日本語が第一言語のクセに、英語よりヒデェな」
「もう!」
香穂がぷいと横を向いた。
数分後、トサッという音。
香穂の手から滑り落ちたカバンが足元に落ちた音だ。
そのまま見れば、窓にもたれて眠っている。
「ククク、なにが眠くない、だ」
車内には、香穂が選んだ軽快な曲のプレイリストが流れている。
千空はもう一度ちらりと香穂を見て、そっとボリュームを落とした。
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