春雷
玄関の扉を開けると、リビングは妙に静かだった。
照明は点いている。
テーブルの上には飲みかけのマグカップ。だが、肝心の使用した人間がいない。
「……居ねえ」
その瞬間、窓の外がピカッと白く光った。
数秒遅れて、遠くで低く雷鳴が転がる。
「あー……雷か」
千空は小さく息を吐いた。
昔から香穂は大きな音が苦手だった。 花火も、工事音も、突然鳴る拍手も苦手。
当然、雷も例外じゃない。
光が入らなくて、少し狭くて、落ち着ける場所。
こういう日は、大体どこかに潜り込んでいる。
この前は風呂場。その前はトイレ。
今日は――まあ、十中八九。
千空は迷いなく寝室へ向かい、ウォークインクローゼットの扉を開けた。
服が並ぶ薄暗い空間の隅。
頭からタオルケットを被ったまま、小さく丸まってスマホをいじっている姿がある。
「あれ、千空?おかえり」
のそのそと顔だけ出した香穂に、千空は呆れたように鼻を鳴らした。
「かくれんぼなら、もう少し上手くやれよ」
「かくれんぼじゃない。すみっこ生活してるだけ」
「とかげか、ねこか、カッパか」
「あれカッパじゃないから。ぺんぎんだから」
「どっちでもいいだろ」
言った直後、背後の窓がまた白く光る。
香穂の肩がびくりと跳ねた。
千空はクローゼットの入口に寄りかかったまま、ちらりと外を見る。
「……5秒くらいか」
「なに?」
「3、2、1――」
ゴロゴロ、と遅れて雷鳴が響いた。
「うっ……」
タオルケットの端をぎゅっと掴む香穂を見て、千空は淡々と呟く。
「まだ遠いな」
「……遠いとかそういう問題?」
「一発デカいの落ちりゃ、そのあとしばらく落ち着くだろ」
「うっ……それが嫌なんだけど……」
「自然様のご機嫌次第だ。まあ春先は多いからな」
また空が光る。
「3、2、1――」
ただ静かに、機械みたいにカウントを続ける千空。
その声を聞きながら、香穂は目を閉じる。
雷は怖いままなのに、不思議と、カウントを聞いていると少しだけ呼吸が整う気がした。
何度かそれを繰り返したあと。
外を見ていた千空が、小さく舌打ちした。
「……近いな」
そのまま扉を閉め、狭いクローゼットの中へ入ってくる。
「え、なに?」
隣に腰を下ろした直後だった。
ドン――ッ!!
床まで震えるような轟音が響く。
「うっ、でっか……こわ……」
反射的に、香穂は隣の千空へしがみついた。
タオルケット越しに伝わる体温に、少しだけ肩の力が抜ける。
千空はそんな香穂を見下ろしながら、どこか呆れたように息を吐いた。
「あれだけ放電すりゃ、しばらくは落ち着くだろ」
「千空……」
「ん?」
「防音工事しよ……」
「……気が向いたらな」
「えーー、その返事、絶対いつまでも気が向かないやつ……」
むくれた声に、千空が小さく笑う。
その直後、また遠くで雷が鳴った。
今度はさっきほど大きくない。
香穂はタオルケットに包まれたまま、千空の肩へ額を押し付ける。
千空は何も言わず、そのまま隣に座っていた。
2026/05/12
2026/05/12