月の石

洗濯前のポケットチェックは、石神千空から厳命されている数少ないルールの一つである。 理由は単純で、過去に何度か洗濯機へ【異物混入】が発生したためだ。 もっとも—— その対策が、現在どれほど機能しているかは、また別の話である。 「千空、この脱衣所に置いてある白衣も洗っていいの?」 「あー、引っ掛けて忘れてたな。頼むわ」 「わかったー」 自分の服のポケットから出てきた大量のゴミを捨て、千空の白衣のポケットに手を入れる。 硬い乾いた感触が手に触れた。 「あれ、なんか入ってる…石?」 ざらついた、何の変哲もない石がひとつ。 「……千空?なんかポケットに石入ってるよ?」 「……石?……あァ、月の石だな」 作業中のPCから視線を外すこともなく、事もなげに返す千空。 「は!?えっ!?月の石!?」 「俺とコハクたちでホワイマン様と直接対決だ、って月行ったろ。もう忘れたのかよ」 「いや忘れてないよ!!そこじゃなくて」 「月面走ったタイヤに挟まってたやつだ。欲しいならラボにまだ大量にあるぞ」 「大量!?」 もはや万博レベルの案件である。 「いやいや!!歴史的なやつでしょ!?龍水さんとこの鑑定団呼んだらえらいこっちゃだよ!!」 「……その手があったな!石神千空オレのサインでも付けてオークションにでも出すか」 「だめ!!千空!!自分の影響力考えて!!そのへんの石でもサイン付けたたら全部『価値あり』になっちゃうでしょ!!」 千空は立ち上がり香穂の横へ来て、そんなの億ションになっちゃうーー!!と叫ぶ香穂の手から月の石をつまみ上げる。 「調べ終わったカスだぞ。貴重でもなんでもねえわ」 千空はそう言うと、すぐ横の窓を開ける。 「んなもん——」 ポイ、と軽く石を捨てた。 「……!」 「——」 一瞬の静寂 「あ゛ーーー!!!いしーー!!!」 窓に駆け寄る香穂 「なにしてんの!?ほんとに!?」 「……」 千空は答えず、窓の外を一瞥してから肩をすくめる。 「テメーが騒ぎすぎなんだよ」 「いや騒ぐでしょ普通!?!?」 (やった……絶対やった……) 震える香穂と対象的に千空はご機嫌だった。 (……まだ使えんな) その千空のポケットの中では、小さな石が指先で転がされていた。

続・月の石

石神香穂が、このなんの変哲もない一般企業に入社してから、これまで穏やかだった職場内が、時々不思議な案件でざわつくことが増えた。 これもそんな、時々不思議な案件、のひとつ。 「あれ、石神さん」 同僚に呼び止められる。 「ポケットからなにか落ちましたよ」 「あれ?ありがとうございます」 「今ポロってポケットから…飴?」 律儀に拾い上げてくれた同僚が、ピタリと動きを止めた。 メモ欄付きの小さなチャック袋。 中身はごつごつした小さな石がひとつ。 メモ欄には雑に書かれた【月の石】の文字。 「……え?月の、石?」 「……!?」 身に覚えがありすぎる名前を聞き、香穂が慌てて同僚の手から小袋をひったくる。 (まってなに月の石?捨ててなかった!?) (よかった!!じゃない!!) (なんでわたしのポケットに!?) (いや絶対千空!!!) ひったくった小袋をそっと見れば、どこをどう見ても先日の洗濯時に出てきた月の石。あげく、その字も見紛うことなき夫の筆跡。 「石神さんいまそれ月の石って…」 「えっ、なに?月の石??」 耳聡い別の同僚までどやどやとやって来て、香穂の手元を覗き込もうとする。 「いやいや!そんなわけないじゃないですか!」 「でも月の石って?」 「月の石みたいだなー!って、ね!」 「旧世界で本物見たことあるんだ?」 「そそそそうです!昔見たやつが!!めちゃザラザラで…」 手に持った月の石入りの小袋を、同僚たちから見えないようしっかりと握り込む。 「あれ、でも俺も昔旅行で触ったことあるけど、月の石の展示品はツルツルだよな?ざらざらなのは火星の石……」 「えっ!?月の石ってツルツルなんですか!?じゃあこれなんでザラザラ……?」 「まあでも旧世界のものがあるわけねえもんな。最近……あー!石神博士たち月行ったときのやつとか?出回ってんの!?」 「え、本物ってこと?」 「オークション見てみよう!」 「いや!違いますって!ジョーク??ジョークグッズ!!」 あははと笑いながら、逃げるようにトイレへと駆け込んだ。 急いでスマホを取り出してメッセージアプリを立ち上げる。 「月!の!石!!!」 『捨ててなくて一安心だろ』 「なんで私のポケット入れてんの」 「わざとでしょ?」 「職場大パニックなんだけど??」 『ポケットの中身はちゃんと出せっていつも言ってるだろ』 「洗濯のときでしょ!!!」 『今後はよく見ろよ』 ニヤニヤしている千空の顔が浮かぶ。 手元の月の石は握りしめたまま、どんな顔でフロアへ戻ればいいのか、香穂は頭を抱えた。
2026/05/10

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