「……っし、これで外枠は固まったな」 リビングのソファで、千空は香穂のスマートフォンを手にしていた。 千空と香穂が籍を入れて間もなく、香穂の一般企業への就職が決まる。 旧姓で通そうとした香穂に対して、石神の姓は隠さず、そのまま行けと千空が言った。 しかたなく香穂は、面接での「石神博士の親戚ですか?」という質問に、千空と相談して編み出した『地元じゃ珍しくねぇ苗字』という屁理屈で乗り切ったのだった。 ちなみに地元といっても、旧世界で香穂の知る石神は、百夜と千空のみだが。 だが、まだ問題は山積みだった。 「ロック画面を俺とのツーショットから無難な風景画に変えたのは正解だな。電源が入ってりゃ一発アウトだろ」 「まあ、ちょっと寂しいけど、会社の人に見られたらザワザワされちゃうもんね……」 香穂が少し残念そうに頷くと、千空は次に電話帳のリストをスクロールした。 「問題はこっちだ……龍水、ゲン、司、コハク……ド級の有名人ばっかで、しかも敬称付き。これ見られたら一発で【普通の人】じゃねぇことが露呈するぞ」 「でも他人の電話帳なんて見なくない?」 「100億%無いとは言わねぇが……せめてやり取りの多い俺の名前だけでも変えておけ」 千空がスマホを香穂へと差し出す。 「あー、そうだよね。千空の名前かあ。なんて登録し直そうかな……」 香穂は受け取ったスマホの画面を指でなぞりながら、ふと思いついた言葉を口にする。 「……せんちゃん?……それとも、くーちゃん?」 その瞬間、千空が「何言ってんだコイツ」と言わんばかりの怪訝な顔を香穂に向けた。 「うわ、千空。その顔やばいって………まあせんちゃんもくーちゃんも似合わなすぎて無理」 「そうしてくれ。鳥肌がやべえ」 千空は短く溜息を吐くと、香穂の手からひったくるようにスマホを取った。 「んなもん、無難に【夫】でいいだろ」 「えっ?おっと!?」 「既婚者のテメーが他人に見られても100億%問題ねぇ。仮に事故でもあって緊急連絡先を漁られても、登録名が【夫】なら、配偶者で間違いねぇからな。即座に俺に繋がる」 手慣れた様子で登録名を変更し、千空が香穂に端末を返す。 「ちぃーと、鳴らしてみんぞ」 「うん」 千空が自分のスマホを操作すると一拍おいて、リビングに軽快な着信音が響く。 暗転していた香穂のスマホの画面が明るくなり、そこには【夫】という文字がでかでかと浮かび上がっていた。 「……!?」 香穂の動きが、ピタリと止まった。 「っし、問題ねぇな。切るぞ」 「……」 「あ゙?なんで黙ってんだ」 通話を切った千空が、香穂の顔を覗き込む。 香穂はスマートフォンを両手で握りしめたまま、顔を真っ赤に染め置物のように固まっていた。 「……ハッ。何を今さら」 香穂の脳内大パニックを察し、千空は可笑しそうに鼻を鳴らした。 「い、いや!分かってたけど!毎日一緒に住んでるし、結婚したんだなーって思ってたけど!……文字で!夫って出ると!なんか、なんか……!!」 ただ【夫】と表示されただけなのに、香穂の心臓は大きく跳ねる。 千空はそんな香穂の腰を引き寄せると、顔を近づけて、吐息がかかる距離でフッと笑った。 「俺は100億%、テメーの『夫』だ。……それ以外に何がある」 触れるだけの軽いキスが、香穂の唇に落とされる。 「『夫の石神です。平素より妻が大変お世話になっております』……ククク、これで満足か?」 熱に浮かされる香穂の耳元で、千空は普段の彼からは想像もつかないような、流暢で丁寧な敬語を口にした。 「ちょ、千空。それいつ使うの!?」 「さぁ?テメーの会社の上司に挨拶する時か、あるいは緊急連絡の時か……。そういうこともあるんじゃねぇの?」 千空は香穂の真っ赤な頬を指先でなぞり、満足げに目を細めた。 「……夫婦だからな。1ミリの揺らぎもねぇ事実だわ」

夫の石神です。


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