雑魚寝の夜

窓の外には、穏やかな夜の帳が降りていた。 「……ねむ」 香穂が重たくなった瞼を必死にパチパチと瞬かせながら、座ったままゆらりと身体を揺らす。 リビングのソファで、手元に置いていた本がパサリと床に落ちた。 「おい、ここで落ちるな。テメーを寝室まで運ぶ筋力は、俺には搭載されてねぇっつの」 千空がマグカップをキッチンへ運びながら、呆れたように声をかける。 だが、その言葉が終わるより先に、香穂の頭がコテンとソファの背もたれに預けられた。 「うーん……むり……、ごめ……」 教科書通りの、完璧な寝落ち。 香穂の意識はあっという間に深い眠りの淵へと吸い込まれていった。 「あちゃー、相変わらずなのね香穂ちゃん。千空ちゃん視界に居ると、本当に一瞬でスイッチが切れるんだから」 リビングの椅子でくつろいでいたあさぎりゲンが、クスクスと笑いながら肩をすくめる。 千空はわざとらしく舌打ちをしたが、その足取りは迷いなく廊下の収納棚へと向かっていた。 戻ってきた千空の手には、手入れの行き届いた柔らかな毛布。 千空は、熟睡して脱力した香穂の脚を優しくソファの上に乗せてやると、足先から肩口まで、隙間から冷気が入り込まないよう丁寧に毛布を掛け直した。 「いつもなら、もうちぃっと警戒心あるが……まあ、気心知れたヤツがゲストだからかもな」 「……ワオ、香穂ちゃんの『絶対に安全な人間リスト』に俺も入ってるってこと?ジーマーで光栄だねぇ」 ゲンは少しだけ目を細め、千空のその丁寧な手つきを眺める。 千空はゲンの視線を無視して、彼に向かって顎をしゃくった。 「ゲン、テメーはあっちのゲストルーム使え。シーツは替えてある」 「えっ、いやいや、千空ちゃん。どうせ、このままここで寝る気なんでしょ?」 ゲンの指摘に、千空がぴたりと動きを止めた。 千空はソファで眠る香穂の寝顔を一度だけ見下ろし、それから少しだけバツが悪そうにそっぽを向く。 「……あァ? 香穂がソファで寝ちまったからな。ここが一番効率がいいだけだ」 「効率ねえ。んじゃ、俺もここで寝よっと!毛布だけ貸してくれればいいよん」 「ハッ、ゲストが床をご所望かよ。お贅沢なヤツだな」 千空は苦笑いしながら、予備の毛布をゲンの頭上へ放り投げる。ゲンはそれを器用に受け取ると、厚手のラグの上にパサリと広げた。 「いーの! 豪華なベッドより、こうやって千空ちゃんと香穂ちゃんと雑魚寝したいの! ……それが、一番落ち着くんだから」 千空は何も答えず、キッチンへ戻るとシンクで皿を洗い始めた。 静かなリビングに、水の流れる音と、食器が触れ合う規則正しい音だけが響く。 「……なーんかさ」 毛布に包まり、床に転がったゲンが天井を見上げながら呟いた。 「このメンバーで雑魚寝してると、石神村に居た頃を思い出しちゃうよねえ……」 千空は蛇口を閉め、タオルで手を拭く。 「千空ちゃんのラボの隅っこで香穂ちゃんが寝ててさ。みーんな、ずいぶん前のことみたいだよね」 急に訪れた静寂。 千空は香穂が眠るソファのすぐ脇、ゲンの隣の床にどっかと腰を下ろした。 「ハッ。そのファンタジーに、地道な科学の積み重ねで勝ったのが今だ……嘘でもなけりゃ、夢でもねぇわ」 ゲンは何も答えず目を閉じる。 隣から聞こえてくる香穂の穏やかな寝息と、千空の少しだけ重い呼吸音に意識を傾けた。 この部屋の空気は、石神村でのあの土っぽいラボの隅っこから、1ミリも変わっていない。 「……お喋りはそこまでだ。さっさと寝ろ、メンタリスト」 「はいはい、おやすみ千空ちゃん。……あ、香穂ちゃんの寝顔、写真撮って極秘フォルダに入れるなら今のうちだよ?」 闇の中でゲンがニヤリと笑う。 千空はしばらく沈黙を守っていたが、やがて床に寝転がりながら、低くカサついた声で言い放った。 「……うるせぇ……もう入れたわ」 「仕事早っ……!!」 ゲンの吹き出すような笑い声をBGMに、千空は毛布を鼻先まで引き上げた。 スマホの画面には、先ほど撮影したばかりの寝顔が写っている。 自分を信頼しきって眠る二人の横で、千空も深い眠りへと落ちていった。
2026/04/01 本編番外編として出そうかと悩んでるうちにお蔵入りした話。 個人サイト作ってなかったらそのまま日の目を見ずに終わってたかもなので、個人サイト作ってよかったなあ~と思いました。

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