『家買ったから見に来て!』
休日の昼下がり。
ゲンから届いたメッセージを見て、私はソファの上で目を瞬かせた。
「……家?」
付き合って半年。あさぎりゲンという男は、相変わらず掴みどころがない。
突然数日連絡が途絶えたかと思えば、こうして何事もなかったみたいに軽いテンションで現れる。
家を買った、なんて話も初耳だった。
空き家ではない(別ルート)
送られてきた住所を頼りに辿り着き、私は思わず足を止めた。
「……ここ?」
高級住宅街だった。
道路は広く、植栽も綺麗に整えられている。
並ぶ家はどれも映画みたいな豪邸ばかりで、芸能人が住んでいても違和感はない。なのに。
「やっほー、こっちこっち」
背後から聞こえた声に振り返る。
ゲンが手を振っていたのは、その高級住宅街の奥にぽつんと取り残された古い住宅の前だった。
色褪せたトタン屋根、ひび割れたブロック塀、雑草に飲まれかけた細い路地の先。
まるで時代から切り離されたみたいな、昭和の景色。
「……なんで?」
「土地建物付きで100万!安いでしょ〜!」
「いや絶対ワケあり物件じゃん……」
「そりゃそうでしょ!ここセレブ街だよ?曰く付きじゃなきゃ残らないって」
ケラケラ笑いながら鍵を回すゲンに、私はじっとりとした視線を向けた。
「そもそもゲンに、古い家のイメージないんだけど」
「おれもおれも!」
「どゆこと?」
「ギャップ萌えってやつ?」
「違う意味で怖いんだけど」
そこで、私はふと思い出したように口を開く。
「……えっ、まって、曰く付きってなに」
「さあ?詳しくは聞かなかったね」
「いや聞こうよそこ」
「土地建物付きで激安以上に必要な情報ある?」
「ありまくりでしょ」
「曰く付きだからどうこうとかないでしょ」
「余裕すぎない?」
ゲンは肩をすくめた。
「生きてる人間が一番怖いのよ、ほんと」
そう言って、古びた引き戸を開ける。
その瞬間、カビ臭い空気がむわりと肌にまとわりついた。長く閉ざされていた家、独特の湿った匂い。
「……住めんの?」
「まんまで住むのは無理だろうね」
「なにせ買いたてほやほや!」
「こっわ……」
「あ、リノベ前提だから土足でいいよ」
「うん……」
言われた通り靴のまま上がる。
一歩踏み込むだけで床は軋み、窓ガラスは薄暗く曇っていた。
「こんなすごいの、よく買ったね」
「実は俺も、家の中見るの初って言ったら引く?」
「もう、すでにありえないくらい引いてる……とっくにマイナス値」
「あらら、それはそれは」
軽口を叩きながら進むゲンの背中を見て、私はなんとなく服の裾を掴んだ。
一瞬だけ、ゲンが振り返る。
「あっ、ごめん。嫌だった?」
「ううん」
少しだけ目を細めて笑う。
「怖いよね?掴んでていいよ」
その言い方が妙に優しくて、私は余計に怖くなった。
ゲンがスマホのライトを点け、その先を照らす。
古い平屋だった。
玄関の先に茶の間。細い廊下を挟んで、小さな床の間付きの座敷。奥には暗い台所と水回り。
「……台所、暗」
「昔の家ってこんな感じじゃない?」
「残地物すご……」
鍋、食器、古びた炊飯器。
前の住人の生活が、そのまま置き去りにされている。
それが妙に生々しくて、私は視線を逸らした。
「リノベするなら配置逆かな。座敷をリビングにして、茶の間を寝室」
「……よくこの状況で間取り考えられるね?」
「台所が北側だから怖いのかもね。暗いし」
「へえ……そうなのかな」
「わかんないけど」
ライトの光が揺れる。
静かだった。静かすぎて、自分たちの足音だけが妙に響く。
「……前の人、どこで寝てたんだろ」
「大きいタンスあるし、こっちじゃない?」
そこで、私はタンスの奥に、不自然な影を見つけた。
「……あれ?」
タンスの死角。壁の一部みたいに溶け込んだ、小さな扉。
「扉ある……取っ手、紐で縛られてるんだけど」
「どれどれ」
「えっえっ??開けちゃうの?」
「家主だからねぇ。確認しなきゃ」
ゲンが紐をつまむ。
古びた紐は、力を入れるまでもなく、ぱらぱらと崩れ落ちた。
ノブのない扉だった。
開閉用の古い取っ手だけが付いている。
ゲンが静かに引く。
ギィ、と音を立て、薄暗い隙間が開いた。
その隙間へスマホのライトを差し込み、ゲンが中を覗き込む。
「…………」
沈黙。
「……ゲン?」
返事がない。
不安になって覗き込もうとした瞬間、ゲンがさりげなく身体を横へ滑らせ、私を遮った。
「……なんもないよ」
「いや、なんもないならなんで遮ってるの?」
「その方が雰囲気あるでしょ?」
ゲンが、後ろ手に扉を閉める。いつもの薄っぺらい笑みが、いつもより妙に軽かった。
ガタン。
閉じた扉の向こうで、薄いガラスが揺れる音がして、その音に背筋がぞわりと粟立つ。
「……やめとこ、ね?」
「いや絶対なんかあったでしょ……」
「ないない、なーんもない」
ゲンはそのまま私の手を引いた。
「リノベ業者探さなきゃね〜」
「ねえ、さっきの中なに?」
ちらりとこちらを見たその瞬間だけ、笑っていなかった。
けれど次の瞬間には、もういつもの顔に戻っている。
「ナイショ」
それから三ヶ月もしないうちに、
『リノベできたよ〜』
と連絡が来た。
外観は少し古さを残したまま、小綺麗に整えられていて、もう最初のオバケ屋敷感はない。
中はさらに別世界だった。
明るいリビング、オープンキッチン、間接照明、センスのいい家具。
最初の間取りを思い出せないほど、家は綺麗に生まれ変わっていた。
「……かわいいでしょ?こういうの好きかなと思って」
「ゲンの家でしょ?」
「俺たちの家だけど?」
当たり前みたいに言われて、私は瞬きをした。
「……そうなの?」
「そうなんだけど?」
はい、と差し出された合鍵には、小さな鈴が付いていた。
ちり、と鳴るその音が、やけに耳に残る。
「あ、ねえ。あの見せてくれなかった扉、どの辺だっけ」
「え?そんなのあったっけ?」
「あったよ。ゲンだけ見てたじゃん」
「ええ〜忘れちゃった。どうでもよくない?」
「……曰く付きのワケアリ住宅にワケも知らず住まされるの?」
「大丈夫、気にしなきゃ平気だよ」
のらりくらりとかわされて、結局何もわからないまま。
綺麗にリノベされた家からは、一度見ただけの間取りを思い出すことも難しかった。
ただ、なぜか一箇所だけ、間取り図にない空間がある。
どこにも扉もなければ窓もない。
この壁の向こうは、向こうの壁ではないことだけは確か。
「ゲン。ここ、なんか空間ない?」
「あーそこね。知らなくて良い場所ってあるでしょ?」
「……」
夜になると、壁の向こうで鈴が鳴る。
ちり、ちり、と、あの合鍵と同じ音で。
「……ねえ、この音……」
隣のゲンを見る。
「だから言ったじゃん」
コトリ、とグラスを置いたゲンが笑った。
「気にしなきゃ平気だって」
2026/05/17
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