3日間の空洞

夜明けとほぼ同時に、玄関のドアが静かに開いた。 龍水へ無理を言ってヘリと自家用機をねじ込ませた千空が、そっと靴を脱ぐ。 リビングに入り真っ先に目に入ったのはダイニングテーブルに置かれたままの手つかずの弁当だった。 賞味期限は2日前。 「……あー、こりゃ昨日もまるまる食ってねえな」 千空は、ダイニングテーブルの弁当を片付けようとして、その横に一冊のノートを見つける。 「……なんだこれ」 ぱらりと開く。 『千空へ』 一行目を見た瞬間、千空は小さく眉を寄せた。
千空へ 今どのへんですか?もう現地入りした? 今日から3日間、電話もメッセも出来ない出張とか初体験すぎるので、思ったこととか今日あったことをノートに書いてみることにしました。 聞いちゃいけない気がして結局どこ行くのか聞かなかったけど、エボラ研究でどっか行ってた(どこだっけ?)ときだって電話くらいは出来たのにね。 アマゾンのときみたいな変な虫とか、ヘビとかいるとこなのかな? 次に宝島みたいな海の綺麗なところに行くときは付いていきたいです! あ!なんか、これ交換日記みたい!!相手がいないけど!!
香穂の書いた文字が声で再生されるような気がして、千空はおもわず吹き出した。 「ハッ、エボラはアフリカだわ。何回も教えてんのにまた忘れてんな」
今朝、いってらっしゃい言えなかった!!起こしてくれればいいのに!!
「いや、起こしてんだわ」 パシッと音を立て、千空がノートを弾く。 「まったく起きなかったのはテメーだろ」
コーヒーも飲まずに出たの? なんか最初からいないみたいに静かで、朝なのにちょっと怖かった
「寝室から出んのに時間掛けちまったからな……たしかにコーヒー飲んでる時間は無かったな……」
玄関のドアにメモ貼ってくれたでしょ? あれ、すっごいうれしかった!記念に貼ります。
可愛らしいマスキングテープで貼り付けられたメモには千空の字で『気をつけて行けよ』と書かれてある。 「いやメモだっつてんだろ、捨てろ」 千空はメモを雑にノートから剥がしてくしゃくしゃに丸めた。
昼は作ったお弁当食べた! 今日の夜ごはんは、塩麹で漬けてた魚(魚の絵)うっかり2切れ焼いちゃったから、千空の分も食べちゃった。 ご飯がすすむよね。
「この日はちゃんと食ってんな」
お風呂入ってさ、出てすぐうっかりお風呂どうぞーって言っちゃってさ、あーーいなかったんだってなっちゃった。
「まあ、クセだな。しょうがねえ」 千空がページをめくる。
おはよ千空。今どこにいる?そっちは何時かな? 昨日ちゃんと寝たよ。 最後に時計見たの3時くらいだったから寝たのは4時くらい?かな?? 左向くと千空が寝てる方で、右向くと千空が寝かしつけてくれる方で、どっちも向けなくてさ、天井見て寝た。
「ほとんど寝てねえじゃねえか」
わたしの今朝は頭痛いで起きたあ。
「そりゃ4時寝だからな」
なんかからだ重い。重体。あれ?太ったって意味もあったっけ?重いからだ。
「んな意味ねえ」
まだ2日目なのにね。 朝ごはん食べる気にならないけど、食べないとまた千空うるさそうだからシリアル食べていく。やば豆乳こぼした。(液体が染みた跡)
「ノートどこで書いてんだ……」
頭痛薬飲む。ついでに一応持ってく。 いってきます。 (変な絵) 会社にノート持ってきた! 昨日も持ってくればよかったよ。これで仕事中もメモするみたいに書けばOK
「OKじゃねえ、仕事しろ」
ないせん14ばん でんわおりかえし なまえわからん 部長あて りれきみる
「……ほんとに端っこメモしてんじゃねえか」
思ったより忙しい いろいろ書こうとおもったのに あたま痛い痛み止め追加 スマホ見たけどメッセない わかってたけど 今日に限って千空じゃなくても誰からもメッセない
そうむ書るいおくる メールびん必ス さいはっこう 金がくかくにん せんくうげんざいちかくにん←なし
「……」
ただいま。 帰ってきたら家の中真っ暗だった。 あたりまえなんだけど。 千空おそい日とおんなじなのに、なんか違うかんじで、全部の部屋の電気つけちゃった。 テレビも付けた。ゲンくんとか、リュースイさんとか出てないかなと思ったけど、今日は誰も出てなさそう。
「どっちもタレントじゃねえぞ。まあ、似たようなもんだろうが……」
さっき書くの忘れたけど、お昼はコンビニでパン買った。でも半分食べてのみ込めなくてやめちゃった。 小分けのパンだから、残った分は会社の人にあげた。 夕飯にお弁当買ったけど、なんか食べる気になんない。 とりあえず置いといてあとにする。
「……弁当これか」 先ほど片付けようとした弁当が、この弁当らしい。
お風呂入らなきゃ。 もう11時過ぎちゃった。 あたま痛いのおさまったら行こうと思ってたけど全然おさまらないし。
「……」
頑張ってお風呂入った!でも時計見たらもう日付かわってた。 千空にかみ乾かせって言われそうだけど、居ないから、聞かなかったことにしよう。
「……いやそこは乾かせよ」
ノートしんしつに持ってきたから書きながらねれる。 まあ、でもさっき電車でうとうとしちゃったせいでねむくないんだよなあ。どうしようかな。 なんかとなりに居ないだけでベッドめちゃくちゃ広いんだよね。ベッドこんな大きかった? 千空、いまどこ?電話したいな。 だめだぜんぜんねむくない。 スマホいじらないようにしてるから、ずっとノート書いちゃいそう。 あれだ、千空が出発前にずっと言ってた深呼吸して大の字で寝るをやろう。 とりあえず寝てみるね。おやすみ千空。
「……」 千空は無言でページをめくった。
おはよ千空。 アラームで起きた。 ちょっとしんどいかもだけど、まあゆっくりなら動けるから、会社は行ける。 たぶん千空居たら休めって言われるかも。でも家に居てもやることないし。
「……寝てねえな」
いってきます。 ただいま ノート持っていくの忘れた リッチにタクシーで帰ってきた 高かった 会社でふらついただけなのに、どうりょうに帰れって言われた 大丈夫って言ったけど、そのあともずっと帰れって言われてちょっとイラッとしちゃった ふらついたくらいでそんなに言う?
「これ、フラついただけじゃねえだろ」 (軽く書いているが恐らく倒れたか、もしくは倒れる寸前だったか……)
あれ、なんだっけ、書くこと忘れちゃった。思い出したら書くね。 あ、そうだごはん食べてない 昨日のお弁当も残ったままだった 捨てなきゃ コーヒーのもっかな ↑やっぱやめた 夜飲むなって言われそう
「……」
どこ行くのかもきかなかったし、なんじかえってくるかきくのわすれちゃった つかれた 3日ながい。つまんない でも石化してたときよりマシかな あしたかえってくるし 千空はやくあいたいな
「……」 ノートはそこで終わっていた。 千空はリビングを後にし寝室へと向かう。 ドアを開けた瞬間、その動きが止まった。 布団も掛けず、千空のパジャマを抱き締めたまま、香穂が小さく丸まって眠っている。 千空は乱暴なくらい雑に布団を掛け直すと、香穂の顔へ掛かっていた髪を指で払い、そのまま首元へ手のひらをすべらせた。 熱はない。呼吸も深い。 なんとかひとりで落ちたのだろう。 着替えた形跡もなければ、目元には化粧の名残まで残っている。 限界まで保たせて、そのまま電池が切れたみたいだった。 出発前夜の会話が脳裏をよぎる。 「千空、そんなに心配しなくても3日くらい大丈夫だって!こちとら、不眠に関してはプロなんだから!」 そう明るく笑った香穂。 「……ハッ。んなロクでもねぇプロ、あってたまるか」 そんな香穂をみて、千空は心底嫌そうに眉を寄せて返した。 それがたった数日前のこと。 千空は起こさないよう静かにベッドへ上がると、香穂の身体を自分の方へ引き寄せる。 無意識なのか、香穂はすぐ千空の服を掴んだ。 ノートの内容と香穂の寝顔が重なる。 「……3日でこれかよ」 呆れたみたいに吐き捨てながら、その声はどこか安心したように掠れていた。 「……ハッ」 小さく笑う。 「だから言ったろ。ロクでもねぇプロだってな」 胸元へ擦り寄ってくる体温を抱え込むようにしながら、千空もゆっくり目を閉じた。
2026/06/10 Another story

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