記憶をなくしたきみと、もう一度恋をした
<エピローグ>
長い夢を見ていたような、そんな気分だった。
自分であって、自分ではない、そんな夢。
ゆっくり瞼を開けると、目の前には千空の寝顔があった。
睫毛が少し濡れている。
(涙?)
不思議に思い、指先で軽くその睫毛を拭った。
その感触に千空がピクリと反応し、ゆっくりと開いた瞼の奥から、赤い瞳が香穂を捉える。
「ごめんね、起こしちゃった?」
千空は目を見開いたまま、じっと香穂を見つめていた。
「千空?」
次の瞬間、勢いよく香穂を抱きしめる。
「……」
言葉はなかった。
ただ空いたスペースを埋めるような、そんな抱擁だった。
「どしたの?泣いてたの?」
「……泣いてねえ」
寝起きの掠れた声で、ぶっきらぼうに否定してきて、香穂は苦笑した。
「やっと……」
「うん?」
「やっと触れる」
「え?」
顔を覗き込んでくると同時に、掬うようにキスされる。
「……んっ……ちょ、千空、なに??」
「あんな警戒心丸出しで、触れるわけねえだろ」
「記憶ない私?」
「覚えてんのかよ」
「ちゃんと覚えてるけど」
もう一度、唇を塞がれる。
「千空……」
「なんだよ」
「我慢してたの?どっちも私なのに」
「当たり前だろ」
千空の腕から抜け出して起き上がると、香穂はベッドにぺたりと座り込む。
「私、記憶なくしても、また千空に恋してたよ?」
千空も起き上がって、香穂に視線を合わせる。
「ぶっきらぼうで、口が悪くて、肝心なこと言ってくれなくて……でも、結局、好きになってた」
「知ってる」
「千空も、記憶ない私のこと、好きになってくれた?」
「……」
千空が黙り込む。
「……記憶ない私のほうが良かった?」
「……んなわけねえだろ」
「でも我慢してたんでしょ?」
「距離置いたのはテメーだろうが」
「そんなのいつもみたいに突破して、遠慮なくべたべた触ってくればよかったじゃん!」
「アホか!……んなこと出来るかよ」
「なんで?」
「……」
「千空?」
千空が言い淀む。
「警戒心丸出しなテメーに、遠慮なく触って、拒絶されたらどうすんだ」
「え?」
「今までのこと、全部棒に振ったらどうすんだよ」
拗ねたように視線を逸らされた。
「記憶戻った今だから、ああすりゃこうすりゃ言えるだろうけどな、戻らなかったらどうすんだ」
「無理矢理触れて、テメーに拒絶されて、そこからずっと気ぃ使って生活すんのかよ」
「3700年もかけてラベル貼って、行き着く先が仮面夫婦?全部無駄じゃねえか」
「……そんなことまで考えたの?」
「ワリィかよ」
石化してた方がまだマシだ、とでも言いたげなその横顔に、香穂はじわじわと奇妙な優越感を覚えた。
「……あー、記憶ない私、もったいない」
「なんだ急に」
「さすがにあの数日じゃ、まだ千空の解読率が低かったかあ」
額に手をあて、天を仰ぐ。
「千空は好きだなんて言わないからこそ良いのに!!」
「は?」
「仮面夫婦なんて嫌だ!とか考えちゃうの!これが良いのに!これこそ石神千空!!」
「おい!」
バフッと枕が投げつけられる。
「いたっ!ちょっと!たんこぶまだあるの!!」
「もっぺん記憶無くせ!」
「記憶ある方が好きって言ったじゃん」
香穂も負けじと枕を投げ返した。
「言ってねえ!記憶ねえほうから謙虚さを貰ってこい」
「やっぱり記憶ない方がよかったやつじゃん!」
枕を避けながら騒ぐ千空を見て、香穂は声を上げて笑った。
記憶があってもなくても。
きっと自分は、何度だってこの人を好きになる。
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