ルーフ・オブザバトリー

<1> 「ねえねえ千空ちゃん、このマンションって外観だと屋上になにかあるように見えるんだけど。屋上、なにかあるの?」 ふらりと遊びに来て、まるで我が家かのように足を伸ばしていたあさぎりゲンが、ふと思いついたように問いかけた。 千空は手元のタブレットから視線を外すことなく、事もなげに答える。 「あるぞ」 その短い返答に、隣で茶を淹れていた香穂が「えっ!屋上あるんだ!?」と素っ頓狂な声を上げた。 千空は今度こそタブレットを置き、信じられないものを見るような目で嫁を凝視する。 「……なんでテメーまで驚いてやがる。ここ住んで何ヶ月経つと思ってんだ」 「えっ、いや、全然気づいてなかったというか……そうなんだ、屋上あったんだ」 「香穂ちゃんってジーマーでそういうとこどうでもいいのね。目的以外は背景、って感じ?」 ゲンの言葉に、千空が盛大なため息を吐きながら補足する。 「どうせコイツの脳内マップは『目的地マンション!』『エントランス!』『エレベーター!』そして『家!』としか認識してねえんだろうな。建物の構造なんざ1ミリも気にしてねぇんだろ」 「あはは、大正解……」 香穂が照れくさそうに笑う。 「他の住人は出入りしないの?……まあ、誰かと鉢合わせるのも気詰まりだけどねぇ」 「最上階と屋上は俺の専有スペースだからな。他の連中は、庭を解放してるから花火だBBQだのはそこで好きにやってるだろ」 ゲンの問いに軽く答えると、千空が立ち上がった。 「……っし、そんなに気になるなら、その屋上見せてやるか」 「えっ、屋上!?星見える?書斎の望遠鏡持って行く?」 「んなおもちゃじゃ役不足だ。まあ行きゃわかる。100億%唆るぞ」 三人はリビングの奥にある、普段は壁の一部と同化している専用の階段を上がった。 ただそれだけのことなのに香穂は、「こんなところに階段あったっけ!?」とはしゃいでいる。 その階段を抜けて屋上の扉を開けた先には、周囲を高い手すりと防風パネルで囲まれた、広大なプライベート空間が広がっていた。 千空が壁際のコントロールパネルを操作すると、中央にある金属製のボックスが音もなく左右に割れた。 「すごっ……!屋根が動いた!」 「スライディングルーフ式の小型観測拠点だ」 スライディングルーフの中からは、磨き上げられた巨大なレンズを構える重厚な天体望遠鏡が現れる。 「いや、動く屋根もすごいんだけど……千空ちゃん、なんかすんごいの中にあるけど」 「あー、こいつは、俺が特注で作った望遠鏡だな」 ゲンが感心したように、その特注品を撫でる。 「へぇ〜、月のクレーターが見えるだけで『おおーっ!』てなるけど、これならもっとエグいところまで見えるちゃうとか?」 「ククク、当たり前だろ。月のクレーターの質感まで拝めるぞ」 二人の会話を聞いていた香穂が、懐かしそうに目を細めた。 「……なんだか、ストーンワールドの時を思い出すね。みんなで作った望遠鏡でさ。千空、夜ずっと覗いてたもんね」 その言葉に、千空はわずかに目を細めた。 洞窟から帰る千空たちを待つ間に、仲間たちが作り上げた手作りの天文台と望遠鏡。あの頃と望遠鏡の精度は比較にならない。 「まあ、あの望遠鏡もだいぶお役に立ちやがったな」 「もー、千空!言い方!」 悪びれもなく笑う千空に、香穂とゲンは苦笑する。 「ねぇ千空。千空が月に行ったときにこれがあったら、ここからでも見えたかな」 香穂が少しだけしんみりと問いかけると、千空はいつものように耳をほじりながら言い放った。 「ハッ、いくらレンズが凄くても月の裏側が見えるわけねえだろ」 「あはは、そっか……裏側だもんね」 香穂が苦笑いすると、ゲンが肩をすくめて千空を突いた。 「もう、千空ちゃん。そこは『愛の力があれば裏側だって見えたよ』くらい言えないのかねぇ?」 「んな非科学的な現象が起きてたまるか……」 千空は言葉を切ると香穂をチラリと見る。 「……あ゛ー、まあ、宇宙の暗闇の中でもテメーのいる地球は光って見えてたがな」 「…………っ」 「千空ちゃん結局、月行っても香穂ちゃん気にしてたってコトねぇ」 「あー、うるせぇぞゲン!!ほら香穂!さっさと覗け!」 千空は声を張り上げると、望遠鏡の向きを強引に変えた。 * オフィスの昼休み。給湯室から戻ってきた同僚の佐藤が、スマホの画面をタップしながら声を弾ませた。 「ねえねえ、聞いた?来月、数十年ぶりに大規模な流星群が来るんだって。ニュースでやってるわよ」 「あ、それ知ってます!かなりの頻度で流れるんですよね。……あー、でも東京の空じゃ厳しいかなぁ」 「数十年なんていったって、その頃私ら石化中じゃん!実質3700年ぶりじゃない?」 同僚たちの言葉に、香穂は先日の星空観察を思い出し無意識に言葉を零した。 「……大丈夫だと思いますよ。屋上からなら結構見えるかも」 その瞬間、休憩室にいた数人の視線が香穂に集中した。 「……え?屋上?どこの?」 「そもそも、この都心のビル群の屋上で星なんて見えるの?」 「あっ……!!」 香穂は背中に冷や汗が流れるのを感じた。自分の頭の中には、千空が設計したマンションの屋上で見た高性能望遠鏡からの星空しか浮かんでいなかったのだ。 「えっ!?ええーっと!!そうじゃなくて!ほら、新しくできた『こども科学館』!あそこの屋上で……」 (……あれっ?科学館に屋上あったかな!?うわーん、わかんない!!どうしよう!!) 「……イベント!そう、科学館で!天体観測イベントとかやるって聞いたんですよ!!」 言ってから、私は固まった。 (やばい。言っちゃった。やるなんて一言も言われてないのに) 同僚たちは「ああ、あそこね!」「確かにあそこなら遮るものも少なそう!」と、意外にも納得した様子を見せる。 (やばいやばいやばい!どうしよう千空!!!) 香穂は心臓のバクバクを抑えながら、どうにかその場をやり過ごした。 その日の夜、マンションのリビングで香穂は神妙な面持ちで千空に向き合っていた。 「……千空、ひとつ聞きたいんだけど」 夕食後、タブレットで論文を読んでいた千空が、視線だけ香穂に向けた。 「……却下。テメーが、んな顔してっときは、100億%ろくでもねぇ事って決まってんだわ」 「ひどい……」 けれど、しゅんと眉を下げた香穂を見て、千空が「で、何だよ」と促す。  「……あの、千空が建てたあの科学館ってさ、屋上ある?」 「は?科学館の屋上?」 「屋上というか、天体観測イベントとかできるような場所……」 香穂が今日、職場でしでかした失態と、咄嗟についた嘘について白状した。 千空はタブレットを机に放り出し、天井を仰いで「はぁーーーー……」と、この世の終わりかと思うほど長い溜息を吐いた。 「……テメーはあ!」 「ごめん!だってとっさに千空の科学館しか思い浮かばなくて……」 香穂が申しわけなさそうに千空を見ると、千空は指先でトントンと机を叩く。 「つまり、自分んちの屋上を誤魔化すために、存在しねぇイベントを捏造したと」 「……はい」 「アホか」 千空がちらりと香穂を見たあと、おもむろにスマートフォンを手に取り、立ち上がる。 「屋上はある。イベントもやりゃぁいいだろ。……ったくしょうがねえな」 どこかへ電話しながらリビングを出て行った千空を、香穂がぼんやりと見送った。 数分後、リビングに戻った千空は、呆れたように香穂を指差した。 「……テメーのついた嘘を真実に書き換えてやったぞ。これで文句ねぇだろ」 「……っ!!ほんと千空!?わーん!神様仏様石神千空様!!ありがとう!!」 翌朝。出社するなり、同僚が血相を変えて香穂のデスクに駆け寄ってきた。 「石神さん!石神さん見て!!これ!!」 差し出されたスマホには、科学館の公式SNSが投稿したばかりのニュースが踊っていた。 『【緊急開催】来月の流星群、特別天体観測会を実施!当日はDr.石神千空による生解説も決定!参加申し込みは本日から開始(抽選制)』 「石神さんの言ってた通り、本当にイベントあるよ!」 「えー!凄すぎる先取り情報だったね!?しかも石神博士の生解説って書いてある!!」 「よかったです……えっ、石神博士の生解説!?」 香穂が同僚のスマホを慌てて覗き込む。 (……いや、まってまって千空も参加とか聞いてないんだけど!?) 自分のうっかりした一言を真実変えてくれたことには感謝しかないのだが、千空自ら解説を引き受けてくれるとは思ってもいなかった。 千空が解説ならば、面白くなること間違いなしなのは子供の頃から知っている。 「……よし!私も抽選申し込んでみようかな!」 香穂は自分のスマホを取り出し、心の中で感謝をの言葉を述べながら抽選フォームへ名前を入力した。 next>>>

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