ルーフ・オブザバトリー

<2> 特別天体観測会の参加抽選結果が発表される、その前夜のことだ。 自宅マンションのダイニングテーブルで、千空は手元の封筒から数枚の厚手の紙を取り出し、無造作に香穂の方へと滑らせた。 「ほら、やる。招待券」 「えっ、いいの!?これ、明日が抽選日なのに」 香穂が目を丸くしてチケットを手に取ると、千空は耳をほじりながら椅子にふんぞり返った。 「抽選に当たったやつはそのまま自分の分を使わせりゃいい。外れたやつがいたら、そいつを渡してやれ……あー、ガキがいるやつ優先でな」 「千空!!優しい!!」 香穂の素直な感謝に、千空が鼻で笑う。 「ちなみにテメーは『当たり』だ。つーか、なんでテメーまで一般枠で応募してんだよ」 「えっ、なんで私が応募したって知ってるの?しかもまだ発表前なのに」 「まさかな、と思って抽選システムにテメーの名前検索かけたら見事に引っかかりやがった」 「だってなにもしないのに関係者枠って、ズルするみたいじゃん」 「結果的にシステム上確定枠に弾かれてる時点でズルだろうが」 「もしかして、意味ない?」 「まったく」 香穂は千空の物言いに苦笑しながら、チケットの裏面に書かれた注意書きに目を落とした。 『持ち物:バスタオル、ヨガマット、またはキャンプ用マットレス。防寒具』という、天体観測にしては奇妙な指定に目を留める。 「ねえ千空、これ何に使うの?天体観測ヨガ?」 「アホか。テメーは流星群を観測するのに、上を見上げて何時間も直立不動でいる気か。頸椎イカれんぞ。流星群鑑賞っつーのは、寝転んで見てナンボだろ」 「そうなんだ……防寒具は?」 「屋上で寝転んでりゃ、放射冷却で体温を根こそぎ持っていかれるからな」 香穂が感心しながら注意書きを読み進めていると、ふいに千空の視線がこちらへ向いた。 「……で、当日は『石神香穂サン』で、他人のツラして行くんだろ?」 千空が目を細める。 香穂は普段、千空との関係を隠している。 職場の同僚も参加する以上、「石神博士の妻」ではなく「同僚の石神さん」として振る舞うことになる。 「ん?うん、そうだね。みんなには内緒だから……ごめんね、千空」 「……別に構いやしねえ。千空博士のおありがてえ解説聞いて楽しめよ」 千空はそう言うと、香穂の頭をくしゃりと撫でた。 翌日。香穂の職場は、案の定朝から天体観測会の当落報告で持ち切りだった。 「全滅よ……!家族全員で申し込んだのに、全部落選!」 「私もダメだった。やっぱり石神博士の人気、凄すぎるわ」 肩を落とす同僚たちの様子を見計らって、香穂はそっとカバンから昨夜の封筒を取り出した。 「あの……もしよかったらこれ使ってください。知り合いから、ぜひお子さんのいる人にって預かった招待券なんです」 香穂がチケットを差し出した瞬間、オフィスに今日一番の歓声が上がった。 「ええっ!?石神さん招待券!?凄い、どうやって手に入れたの!?」 「本当にいただいちゃっていいの!?」 「もちろんです!その代わり、当日は寝転んで見るためのマットとか、防寒着を忘れないで、って招待券くれた人が言ってました」 香穂は昨夜、照れ隠しにそっぽを向きながら千空が言った言葉を思い出す。 『……未来の宇宙飛行士を育てるための、先行投資だ。科学に興味を持つガキが一人でも増えりゃ御の字だろうがな』 (……未来の宇宙飛行士、見つかるといいね) 必死にチケットの御利益を語る同僚たちの横で香穂は、天体ショーまでのカウントダウンを静かに楽しみ始めるのだった。 * 空が深い群青色に染まり、一番星が瞬き始めた頃。 香穂は観測会当選のメールが届いているスマホを手に、新設された『こども科学館』の門をくぐった。 屋上に上がると、そこにはすでに大勢の家族連れや天文ファンが集まっていた。 職場の同僚も子供を連れて無事に到着したらしく、香穂を見つけて大きく手を振っている。 香穂は同僚たちに小さく手を振り返すと、会場全体が見えるよう、少しだけ人の輪から離れた位置にキャンプ用のマットを広げた。 スタッフ用のビブスを着たスイカやクロムが、機材の調整であっちへこっちへと忙しなく走り回っている。 ふとした瞬間に目が合うと、クロムはニヤリと笑い、スイカは気づかれない程度に小さく頷いてみせた。 やがて、科学館の館長による挨拶と、職員からの注意事項の説明が始まった。 その最中。 「あ!光った!今、流れた!!」 一人の子供が夜空を指さして叫んだ。それを合図にしたかのように、会場のあちこちから歓声が上がる。 その喧騒を割るように、マイクを通して、聞き慣れた低く通る声が響き渡った。 「おー、今、声上げたヤツ居ただろ。もう見つけたか」 満を持して、白衣にトレードマークの赤いマントを羽織った石神千空が現れると会場から大きな歓声が上がった。 彼はポケットに手を突っ込み、気だるげに空を見上げながらマイクを握っている。 「テメーら、今日は星を見に来たんだろ!俺の方見てねぇで、とっととマットに寝転がって空見ろ空!耳だけこっちに向けておけ」 その指示に従い、観客たちは次々とマットに身を投げ出した。 香穂もまた、冷え始めた夜気を感じながら、厚手のマットの上に横たわる。 「流星群っつーのは、宇宙に浮いてる彗星のカスだ。そいつが地球の重力に捕まって、大気圏でプラズマ発光してるわけだ」 千空は流星群の仕組みから、石の世界で星を頼りに進んだ頃の話まで、次々と話を広げていく。 「……ま、3700年も経ってたせいで、地球の地軸が傾いて、北極星の位置が変わりやがった。そのコトに気付かねえで、箱根まで移動するのに作った六分儀は、クソみてぇな精度だったな」 会場から笑いが漏れる。 香穂はその言葉を聞きながら、かつて自分たちが石の世界で夜空を見上げていた姿を思い出していた。 「……っし、時間的にそろそろピークだ。俺もここからは星空観察だ。質問は後で受ける……マイク切るぞ」 会場が静寂に包まれる。 香穂が夜空を流れる白い光の筋を目で追っていると、隣のわずかなスペースにマットを敷く気配がした。 「……あ」 横を見ると、そこには先ほどまで壇上にいたはずの千空が、当たり前のような顔をして香穂の隣に寝転んでいた。 「……お疲れ様。凄く面白い解説だったよ、石神博士」 香穂が小声で囁くと、千空は「事実説明しただけだがな」とぶっきらぼうに返した。 そして、周囲の暗闇に紛れて、彼は香穂の左手を迷いなく探り当て、指を絡めて強く握りしめた。 「…………」 会話はそれ以上なかった。 繋いだ手の温もりを感じながら、香穂は再び夜空を見上げる。 香穂がふと隣を見ると、そこにはあの頃と同じように、目を輝かせて夜空を見つめる宇宙大好き千空少年がいた。 何千年経っても、世界を救っても、この人はずっと変わらない。 香穂は思わず、くすりと笑った。 「……唆るね?」 香穂の問いかけに、千空は一瞬だけ満足げに口角を上げた。 「……ああ。何千年経とうが唆るぜ、これは」 握りしめられた手は、さらに強く繋がった。 <<<back

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