その手を払いのけた日

<1> 狙撃され、治療の最中意識を失った千空を前にしても、私は何も出来なかった。 船室の中は慌ただしく声が飛び交っている。 血の気を失った千空の顔、おびただしい赤、そして包帯。 フランソワさんたちが必死に処置を続けていて、私はただその横に立ち尽くすことしか出来なかった。 千空の手に触れたい。 名前を呼びたい。 起きて、って言いたい。 (……でも、私がここに居ても、意味ない) 喉の奥が詰まった。 だったら、動ける方へ回る事こそ合理的。今必要なのは感情じゃねえ、マンパワーだ。 きっと千空ならそう言う。 自分に言い聞かせるみたいに、私は大きく息を吐いた。 「……ルーナさん、杠ちゃん」 「千空のこと、よろしくお願いします」 大樹とふたりで深く頭を下げると、杠ちゃんが泣きそうな顔で頷いた。 「うん……大樹くんも香穂ちゃんも、気をつけてね」 私は小さく笑って、そっと千空の頬に触れた。 千空の目は閉じたままだったが、手のひらに生きてる体温を感じる。 「……千空、行ってくるね」 返事はない。 唇をぎゅっと噛み締め、船室を出た。 大樹と一緒にラボカーへ乗り込み、ペルセウス号を離れる。 目的は、クロムたちへのドリル輸送。そしてゼノの拠点までのトンネル掘削。 今の私に出来ること、それだけを考えて、無理やり前を向いて進もうとした矢先のことだった。 『ついに彼氏ができましたー!名前は千空くん!』 通信機越しに飛び込んできた、ルーナさんの明るい声の暗号通信に、持っていたスコップが、ガシャン、と音を立てて落ちた。 「なにーーー!?」 「これはまた、ろくでもなさそうな話だな……」 遠くで、大樹とコハクちゃんの声が聞こえるが、何を言っているのか頭に入ってこない。 ――彼氏? 千空が? ルーナさんの? 思考が、一瞬止まる。 いや、わかってる、わかってるよ。 千空がルーナさんの彼氏になれば。 つまり、彼女がこちら側に来れば、なにか利益になることがある。そういうことだろう。 合理的で、いかにも石神千空らしい。 そんなの、理解してる……理解してるのに。胸の奥が、ぐちゃぐちゃに掻き回される。 (……死にかけてたじゃん) 船を出る時、あんな状態だったじゃん。 そんな中で『彼氏』とか『彼女』とか、そういう話してたの? 自分の命と引き換えみたいに? それとも、おありがてえ!なんて軽口言って? じゃあ、私は何だったの。 私は、千空が死ぬかもしれないと思って、後ろ髪引かれながら。 それでも役に立つ方へ行こうって、千空が回復したあとに、少しでも楽になるようにって必死で切り替えたのに。 なのに千空は。 『彼氏』 無意識に、落としたスコップを拾い上げる。 土を掘る、掘る。何も考えないように、ただ手を動かす。そうしないと、胸の中のモヤモヤが暴れ出しそうだった。 「香穂!」 大樹に声をかけられ、振り返る。 「どうした、顔色悪いぞ?」 「……え?」 「疲れたのか?」 私は少しだけ視線を逸らした。 千空と同じく、曲がりなりにも幼なじみの大樹は、こういうところだけ妙に鋭い。 「……そうかも。ごめん、大樹。ちょっと休んでくる」 「ああ!ここは任せておけ!」 「……うん」 みんなから少し離れた場所へ行き、その場に座り込み、膝を抱える。 頭の中で、ぐるぐる同じ言葉が回っていた。 彼氏。彼女。恋人。 私は? 私は、なんなんだろう。 『幼なじみ』 ただ、それだけ。 幼なじみはラベルじゃない。 ラベルなんて、私には、ひとつもない。 ルリちゃんとの結婚の時は、千空の中でちゃんと科学が優先されてる、って分かってたから平気だった。 (……まあ、即離婚したから、色んなこと考える暇も無かったとも言えるけど) でも今回は違う。 『彼氏』 その単語だけが、ずっと胸の中に引っかかって取れない。 (……ああ) じわりと、目の奥が熱くなる。 (そっか) 私は、千空と自分は同じなんだって。 ラベルなんかなくても、同じ場所にいるんだって。 勝手に、そう思ってたんだ。 でも違った。私だけが、特別だと思ってたんだ。 そう思った瞬間、何かが、すとんと胸の奥に落ちた。 「……やめよ」 ぽつりと零れる。 全部、やめなきゃ。 私はぎゅっと膝を抱え込んだ。 でも、作戦は別だ。 どれだけ胸がぐちゃぐちゃでも、この作戦でゼノを捕獲しなきゃいけない。 みんなが先に進むために、やることはやらなきゃ。 深く息を吸って、立ち上がる。 重たい足を引きずるみたいにして、私はまた、穴を掘る仲間たちの方へ戻っていった。 * 無事ゼノを捕獲し、拠点を脱出した。 そしてドッグファイトを終えた千空、龍水さんと合流する。 私たちは、奪った小型船でそのまま南米を目指すことになり、船上は慌ただしかった。 「……香穂ちゃん?」 けれど、その慌ただしさの中でゲンくんだけは、ずっとこちらを気にしてくれていた。 「どしたの?なんか元気なくない?」 「……そう?」 私は適当に笑ってみせるが、どうせうまくなんて、笑えていなかっただろう。 船に戻ってからというもの、私は千空が視界に入るだけで、胸の奥がぐちゃぐちゃになってしまっていた。 千空の近くへ行かない、目を合わせない、話しかけない。意図的に避けていたのだ。 千空はというと、ゼノさんと石化光線についての話し合いにかかりきりだった。 それはそうだ。今は世界の命運がかかっているのだ。こんな個人的な感情で、邪魔なんてしたくない。 ……したくないのに。 千空がルーナさんと並んで話している姿を見るたび、胸の奥がざらついた。 『彼氏』 その単語が、まだ刺さったまま抜けない。 「香穂ちゃん?」 再び呼ばれて、ハッとする。 ゲンくんがこちらを覗き込んでいた。 「ジーマーで顔色悪いよ?」 「大丈夫だよ」 即答する。 「寝られてる?」 「……寝てる」 「ほんとに?」 「ほんと」 嘘だ。 千空の狙撃、別行動、再会。そして、あの通信。 千空が狙撃されてから、ずっと緊張モードで、ずっと頭がぐちゃぐちゃで、どんなに千空の気配を感じていてもまともに眠れてない。 でも、そんなこと言えるわけない。 「……千空ちゃんと、話しできてる?」 ぴくり、と指先が震える。 「……千空、今、忙しいでしょ」 「まあねぇ」 「だから邪魔しないようにしてるだけだよ」 「……そっか」 そう言うと、ゲンくんは少しだけ眉を下げたが、それ以上は追及してこなかった。 でも、あのメンタリストの目は、大丈夫じゃないことなんか見抜いているんだろう。 だから私もあえて、気付いていないフリをした。 *** 「千空ちゃん」 ゼノと討論の合間で、ゲンがひらひらと手を振る。 「あ?どうした」 「ちょっといい?」 「今か?」 「うん、今」 珍しく真面目な声色に、千空が眉をひそめる。 「……なんだ」 人気の少ない場所まで移動すると、ゲンは単刀直入に切り込んだ。 「香穂ちゃん、大丈夫なの?」 その名前に、千空が軽く視線を上げる。 「あー……まだスネてんのか」 「あれが、まだスネてる、ってレベルかなぁ?」 ゲンが呆れたように息を吐く。 「話した?」 「いや、まだだな」 「いやいやいや」 さすがのゲンも、思わず素が漏れる。 「あとで説明すればいい、と思ってんでしょ?」 「……実際そうだろ。どうせルーナの件で――」 「それ、あとで、で間に合う?」 千空が黙る。 ゲンは腕を組み、じっと千空を見た。 「ねえ千空ちゃん。香穂ちゃんとさ、話せてないんじゃなくて、香穂ちゃんが、話しかけてこないんじゃない?」 その言葉に、千空の表情がわずかに変わった。 「……」 確かにそうだった。 合流してから、香穂は一度も自分から近寄ってきていない。 いつもなら、別れ際の怪我はどうなっただの、そんなに動いて大丈夫なのかだの。 真っ先に飛んできて、半泣きになりながら、うるせえくらい顔を覗き込んでくるはず。 なのに、今回は避けられている。 しかもおそらく、意図的に。 「なんかあの時みたいなんだよねぇ」 ゲンがぼそりと呟く。 「司ちゃんのところから石神村に向かう時の、限界香穂ちゃん」 その単語に、千空の眉がピクリと動いた。 「隈、すごいよ?気付いてた?」 「……」 「顔色も悪いし、笑わないし。本人は寝てるって言ってるけど、あれたぶん、まともに寝てないと思う」 沈黙した二人の間に、海風が吹き抜けた。 「……チッ」 小さく舌打ちして、千空がガシガシと頭を掻く。 そこまで悪化しているとは、思っていなかった。……いや、違う。香穂が避けていることには気付いていた。 話しかけてこないことも、目を逸らされることも。 なのに、そのうち話せばいい、と勝手に思っていた。 香穂がここまで追い詰められていることを、見ようとしていなかったのだ。 「……行ってくる」 「うん。それがいいと思うよ」 ゲンは小さく肩をすくめた。 千空は、甲板に立つ香穂を見つけた。 海風が強い。 風に荒れる髪を抑えながら海をぼんやり眺める横顔は、ひどく青白く見えた。 「……香穂」 声をかける。 ぴくり、と肩が揺れるが、香穂は振り返らなかった。 「テメー、まだスネてんのか」 なるべくいつもの延長のように、軽口で話したつもりだった。 「……」 しかし、返事はない。 ゆっくりこちらを見たかと思えば、そのまますっと視線を逸らし、立ち去ろうとする。 「おい」 まるで避けるみたいに、呼び止めても止まらない。 「……なんだあれ」 本気で意味がわからなかった。 あそこまであからさまに避けられたのは、初めてだった。 「……千空ちゃん」 少し離れた場所で様子を見ていたゲンが、呆れたように口を開く。 「さすがにあれは深刻すぎない?」 「……夜、話す」 そう言いかけて、千空は止まった。 夜、千空は物置部屋へと向かう。 女子部屋ではなく、物置部屋が香穂用の小さな簡易寝室だ。 香穂が千空無しで寝れないことは周知の事実だったため、千空が気兼ねなく出入りしやすいようにと用意されたのが物置部屋だった。 ドアノブに手をかけて――止まる。 カチャ。 開かない。 「……は?」 鍵がかかっており、千空は眉をひそめた。 「……香穂?」 小窓から中を覗けば、香穂は確かにそこにいるのに、返事はない。 雑に敷かれた毛布の上で、膝を抱えたまま、壁に寄りかかっているが、こちらを一切見ようともしない。 「おい」 沈黙。 「……開けろ」 先ほどと同様に返事はない。 千空の中で、じわりと焦燥が広がる。 「……香穂、鍵」 「……やだ」 やっと小さな声が返ってきた。 「今日は一人で寝る」 その言葉に、千空の眉がぴくりと動いた。 「テメー、それ」 「平気だから」 即答だった。 でも、声が震えている。 明らかに、無理をしている。 「……開けろ」 「やだ」 「香穂」 「今日は平気だから」 その平気が嘘だとわからないほど、千空は鈍くない。 「……っ」 壊すことは出来る。この程度の鍵、ドライバーひとつあれば一瞬だ。 けれど、ドアに手をかけたまま千空は止まる。 ――香穂に来るなと言われたことなんて、一度もない。 7歳から、ずっと。 どれだけ喧嘩しても、怒られても、怒っても、泣いても、呆れられても。 拒絶だけは、されたことがない。 中から拒絶されている。その事実が、千空を止めていた。 「……チッ」 小さく舌打ちして、千空はドアから離れた。 その遠ざかっていく足音を、物置の薄い壁越しに、香穂は唇を噛みながら聞いていた。 胸の奥が痛い。痛いのに。 (……やだ) 今顔を見たら、絶対また千空に縋ってしまう。それが嫌だった。 だが、事態はそのまま悪化していく。 その後も香穂は千空を避け続けた。 千空が近付けば、離れる。 夜は鍵をかける。 千空以外とは最低限話すのに、千空だけは拒絶する。 数日後には、誰の目にも明らかだった。 「……香穂、顔色悪すぎやしないか?」 コハクが眉を寄せる。 目の下には濃い隈。 頬は少し痩せ、唇の色も悪い。 何より寝不足が限界を超えた時特有の、熱っぽい呼吸。 千空はそこで初めて、自分が思っていた以上に香穂が限界まで追い詰められていたことを理解した。 「……おい、香穂」 声をかけるが、香穂は立ち止まらない。 「待て」 「……」 「いい加減、喋れ」 「……今、忙しいんでしょ」 振り返りもせず、ぽつりと返される。 その一言が、妙に刺さった。 忙しい。確かにそうだった。 ゼノ、スタンリーからの追跡、石化光線、燃料問題、南米。優先すべきものは山ほどある。 でも、だからといって、香穂を後回しにしていい理由にはならない。 「……香穂」 名前を呼んだが、その背中は止まらなかった。 そんな状態にも限界が来た。 「千空!!」 甲板に響いたコハクの声に、千空は勢いよく顔を上げる。 ただ事じゃないことは、その声だけでわかった。 「香穂が倒れた!!」 その瞬間千空の身体は、反射で動いていた。 next>>>

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