ウェディングフォトを(俺が)撮る話
<1>
「……ねぇ、ふたりとも。籍入れてから結構経つけどさ。結婚式とか、そういうゴイスーおめでたい行事はスルーな感じ?」
リビングに漂う、焼き魚の香ばしい匂いと味噌汁の湯気。
今日も今日とて、我が物顔で石神家の食卓に居座っているあさぎりゲンが、湯呑みを片手にひょいとそんな爆弾を放り込んできた。
「……あ?んなもん必要ねえだろ」
「ちょちょちょ!!千空ちゃん、言い方ドイヒーすぎない!?お祝いしたい人、世界中に100億人くらいいるんだよ!?」
「その100億人を捌くコスト時間は誰が払うんだ……香穂、テメーはどうなんだよ」
千空は隣でサラダを咀嚼していた香穂に目を向ける。
香穂は「けっこんしき……?」と数度目をぱちくりさせ、首を傾げる。
「……結婚式って、必要なやつ?」
「必須項目ではねえ」
「じゃあべつに興味ないかな」
香穂は箸を置き、湯呑に手を伸ばした。
「……だとよ。交渉終了だ、ゲン。さっさと茶飲んで帰れ」
「どぅえーーー!?香穂ちゃん!?千空ちゃんに無理に合わせなくていいんだよ!?女の子の憧れでしょ、ウェディングドレス!!」
身を乗り出すゲンに対し、香穂はのんびりお茶を啜る。
「……無理してないよ?そもそも、自分たちが主役で立ってる姿とか、想像できないし」
「……君たち、ジーマーでそういうとこ似てるよねぇ……」
ゲンは呆れたように肩をすくめる。
だが、彼はこの程度で引き下がるほど甘い男ではない。
不敵な笑みを浮かべると、ゲンが二人の急所に狙いを定めた。
「でもさ、千空ちゃん。考えてみてよ。杠ちゃん作のドレス着た香穂ちゃん。あ〜真っ白なドレスに白い肌。いやあ、キレイだろうなあ〜〜」
「…………」
千空の箸が、止まる。
「香穂ちゃんもさ。千空ちゃんのバイヤーにかっこいい正装姿、一生に一度くらい見てみたくない?」
「……えッ!!」
その瞬間、香穂の脳内が正装した千空という単語で埋め尽くされた。
「えっ!?えっと!?正装??」
「そうそう、花婿だからね。タキシード!」
「タキシード!?」
想像するだけで、顔面から耳の付け根までが沸騰したように熱くなる。
「ほらほら、千空ちゃん。着るだけ着るだけ」
千空は、ガシガシと乱暴に頭を掻き回した。
「……あー……百夜のジジイがうるせぇからな。……写真……まあ、写真くらい撮っとくか」
「千空、タキシードの写真撮るの!?」
「……いや、こういうのはオレじゃなくてテメーの方が主役だろ」
「いいねえいいねえ!俺、杠ちゃんにバイヤーなドレスの発注連絡するよん!」
ゲンが「たのしみだねえ」と弾むような声でスマートフォンを取り出す。
その横で、千空は何事もなかったように再び箸を動かした。
*
あさぎりゲンが杠に連絡を入れてから、わずか数日後のこと。
いつもは静かな石神家のマンションに、荷物持ちの大樹を連れた杠が、嵐のような賑やかさを引き連れてやってきた。
「えっ、ゲンくんとその話をしたの、ついこの間だよ?もうフィッティングなの!?杠ちゃん、早すぎない?」
「いやー、実は千空くんと香穂ちゃんが結婚したって聞いてから、いつかこんな日が来るかもって、こっそり型紙用意してあっちゃったりして!!」
杠が「こちらが完成したドレスですっ!」と誇らしげに声を弾ませると、大樹がドスンと景気良く巨大な荷物を床に置いた。
その振動に、香穂は「いや、そんな、料理番組の『完成品がこちら』みたいな……」と呆気にとられる。
「やるじゃねぇか、杠テメー!そこまで準備してんなら、もう本番の日程組めるな」
「おっ、やりますか千空くん!私も今日、最終チェックしたらすぐに仕上げの縫製に入るね!!」
千空と杠が目をキラキラさせて最短ルートのスケジュールを詰め始め、大樹は「よかったな千空!」と隣でガハハと笑っている。
「……結局、千空が一番ノリノリじゃん」
香穂だけが苦笑いしながら、自分の預かり知らぬところで爆速で進んでいく結婚写真計画を眺めていた。
「よーし!じゃあ香穂ちゃん、フィッティングに入ろっか!千空くん、寝室借りるね!」
「ああ。俺もコレ着とくわ」
二人は分かれて着替えを始める。
リビングに残された千空の耳に、寝室から「ちょ、ちょっと杠ちゃん……これ、本当にこれで正解なの?」「正解正解!大正解!100億%千空くんが好きなやつだから!!」という楽しげな声が漏れ聞こえてくる。
少しだけそわそわとした挙動を大樹に悟られまいと、千空は無意味にカフスボタンをいじった。そんな親友の様子を、大樹が温かい眼差しで見つめている。
「千空。俺は、千空と香穂が結婚してくれて、本当に嬉しいぞ」
「あ?」
「俺はずっと見てたからな。千空と香穂を」
「……ああ」
千空がほんの少しだけ口角を上げた、その時。カチャリと寝室のドアが開いた。
「じゃっじゃ〜ん!千空くんお待たせ!新婦さんの登場ですっ!」
杠に手招きされ、おずおずと香穂が姿を現した。
ホルターネックにレースの長袖。首元から手首までを繊細な刺繍が覆い、肌の露出を極限まで抑えた、クラシカルで清楚なデザイン。
千空は、瞬きを忘れたように静止した。
「……どうかな?」
自信なさげに、上目遣いに尋ねる香穂。千空は喉の奥が熱くなるのを感じ、「あー……」と、掠れた声を絞り出すのがやっとだった。
ガシガシと乱暴に頭を掻き、何かドレスの感想を言おうとした、その瞬間。
正装した千空を初めて視界に入れた香穂が、悲鳴を上げた。
「ひいいいいいい!!せっっっっ千空のタキシード!!!!やば、なにこれ、破壊力が凄すぎて脳がバグる!!杠ちゃん、天才なの!?千空、待って!ストップ!!ウェイト!!!スマホ!!スマホどこ!?写真!!写真撮らなきゃ!!!!」
「…………あーあー、香穂ちゃん」
杠が頭を抱える。
「……あァ、予想通りすぎてお涙あふれまくるわ………まあテメーは100億%、こういう反応になるわな……」
自分の姿そっちのけで、スマホを探して慌てふためく香穂を見て千空もため息をついた。
彼女がスマホを求めてくるりと背中を向けた、その時。
千空の赤い瞳が、一点に固定されたまま止まる。
清楚な正面のデザインとは対照的に。
香穂の背中は、肩甲骨から腰のくぼみにかけて、大胆なV字を描いて真っ白な肌が剥き出しになっている。
「……杠……おい、杠!!あれはなんだ」
「うんうん、いいでしょ!!千空くん、こういうギャップ、好きだと思って!!」
言い返そうとした千空の口が、一瞬だけ止まる。
否定できないまま再び香穂の背中へ目をやり──その視界の端に、同じくこちらを見ている大樹の姿が入った。
「大樹ッッ!!後ろ向け!!今すぐ窓の外の通行人でも数えてろ!!」
「む!?理由は分からんが、千空がそう言うならそうなんだな!分かった!!」
千空は無防備に晒された香穂の背中を他人の視線から隠すように、脱ぎ捨てていた自分のジャケットを乱暴に被せた。
「あーーーッ、クソ!!杠、もう調整は終わってるよな!?100億%終わってるな!?だったら香穂!もう脱げ、早く脱げ!!今すぐ着替えろ!!」
「えええっ……千空、私まだ自分で鏡すら見てないんだけど……」
「んなもん当日までの楽しみにしとけ!!なんつーもん着せて──」
杠と香穂を寝室に押し込もうとした千空の動きが、ふと止まる。
大樹が律儀に、窓の外を見ているのを確認すると、千空は被せていたジャケットの下に、そっと手を滑り込ませた。
「……杠、このホック、どうなってんだ」
ジャケットの下に滑り込んだ千空の指先が、背中に触れる。
香穂の肩が、ぴくりと揺れた。
「千空くん、それ今知る必要ある?」
「構造が気になっただけだ」
「ふーん?」
「あー、うるせぇ。さっさと教えろ」
杠の説明を聞きながら、千空は複雑な留め具を確かめるように指先を動かす。
そのたびに素肌を掠める指に、香穂はじっと身を固くしていた。
「……千空くん。もう分かった?」
「ああ」
「じゃあ手、離してあげたら?」
「…………」
千空は無言で、香穂の背中にジャケットを掛け直した。
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