プロトタイプドラゴ <黄金の晩餐編>

今夜の石神家のダイニングには、外交官として世界中を飛び回っているあさぎりゲンが遊びに来ていた。 「いやぁ、やっぱり日本のご飯は落ち着くねぇ」 「外交官サマなんだ。うめぇもん食ってんだろうが」 「日本人だからねえ。やっぱこっちよ。っていうか、おれメンタリストなんだけど?」 呆れたように言うゲンに笑いながら、香穂がコーラを継ぎ足す。 「ゲンくんおつかれさま」 「ほんっと、もうメンタリストなのか外交官なのか、わかんなくなってきたけどさあ」 ひとしきり近況報告を終えた頃、ゲンがふと思いついたように香穂に視線を向けた。 「そういえば、香穂ちゃんのお仕事って事務だっけ?なにやってんの?」 その質問に、千空も箸を止めた。 「……あァ?そういや、俺も詳しくは知らねぇな」 香穂は首を傾げ、少し考え込んでからうーん?と口を開く。 「なにって言われても、本当に普通の事務なんだけど……。書類をまとめてファイリングしたり、コピーを取ったり、会議の音声議事録を文字データに打ち直したり?」 それを聞いた瞬間、千空の眉がピクリと跳ねた。 「……はァ?音声データを打ち直す?AIに読ませりゃ一発だろ」 「うーん、私の会社って結構ローテクなんだよ。昔ながらの手作業が一番確実だ!っていう。でもそれがまたおもしろいんだよね」 香穂が楽しそうに語る無駄作業に、千空は呆れたように溜息をついた。 「あ!あとね、この間、手が真っ黒になるくらい社名スタンプ押してさ!なんかこれ、懐かしいなーって思っちゃった」 「懐かしい?」 ゲンが聞き返す。 「うん! ストワでさ、同じ作業を繰り返してたじゃん。あーこれ、科学王国民やってるなぁ、って思ったらなんだか嬉しくなっちゃって」 その言葉が出た瞬間、千空とゲンは顔を見合わせ、同時に吹き出した。 「テメー、結局やってること昔と変わらねぇじゃねぇか!」 「香穂ちゃん最高!そんなドイヒー作業またやってるの!?さっすが元祖科学王国民だねぇ!!」 千空はクククと喉を鳴らし、ゲンは涙目になりながら肩を震わせている。 「頭の中でドイヒー!!って叫びながら押してた……。あ、でもね、なんだかんだで、私、こういうコツコツした仕事好きみたいなんだよね」 えへへと照れくさそうに笑う香穂。 その姿を眺めていたゲンは、ようやく笑いを収めると、少しだけ真面目な顔をして千空に語りかけた。 「……はー。千空ちゃん、香穂ちゃんってジーマーでいい奥さんだね」 ゲンのその言葉に千空は鼻を鳴らす。 「……ハッ。んな事知ってるわ」 「はいはい、ごちそうさま」 千空は首にかけた指輪を服の上からなぞり、満足げに口角を吊り上げた。 * 「あっ、そうだ。龍水さんのドラゴといえば……」 思い出したように香穂が立ち上がり、コートクロークに掛けていたバッグから財布を取り出した。 中から出してきたのは、端の欠けた植物繊維の質感が残る荒い紙切れ。 「これ、龍水さんと最初に作ったドラゴなんだけど……」 テーブルに置かれたその紙には、龍の絵と100ドラゴの金額が、手彫りのハンコ特有の掠れたインクでペタペタと押されている。 「これに“プロトタイプドラゴ”なんて名前がついてるの、知ってた?なんか、オークションですごい値が付いてるんだって。……私、全然知らなくてさ」 香穂が先日の職場でのプロトタイプドラゴ騒動の全貌を話しながら、静かに紙を撫でる。 その告白を聞いた瞬間、千空とゲンは数秒間、無言で香穂を見つめた。 「香穂」 「ん?」 「テメー。100ドラゴの集金に、よりによってプロトタイプドラゴそいつを出したのか」 「……え?」 香穂がきょとんとする。それを聞いたゲンが口元を押さえた。 「いやぁ……そう来たかぁ」 「どういうこと?」 「いや、香穂ちゃんさぁ。その紙、今どれくらいの価値になってるか知ってる?」 「100ドラゴがオークションで爆上がりしてるって聞いた……」 ゲンはにっこり笑った。 「なんで爆上がりしてるか知ってる?」 「さあ?」 千空がよこせ、とばかりに手を差し出したので、香穂は素直に千空の手のひらにプロトタイプドラゴを載せた。 「手彫りでハンコを作って、龍水とテメーが手作業で刷った。今のドラゴとは製法も紙質もデザインも違う」 「うん」 ぴらぴらと光にかざせば、インクの乗らなかった部分の繊維が透けて見える。 「しかも現存数が限られてる」 「……ん?」 「その上、同じものをもう一度作ろうとしても、完全に同じにはならねぇ」 千空の指が、紙切れを軽く弾いた。 「つまり、歴史的価値のある一点モンってこった」 香穂は紙を見る。 「…………」 掠れた龍の絵。 微妙に歪んだ数字。 ところどころ飛び散ったインク。 「……これが?」 「これが」 千空は即答した。 もともとは皆で気球を作るために、布を縫い合わせていたはずだったのだ。 あまりの香穂の不器用さを見かねた杠に『香穂ちゃんは裁縫よりこっち!』と戦力外通告され、通貨を欲した龍水と一緒に、ハンコを押しただけの紙である。 「でも、これ……龍水さん『まあ、雑だが、これでいいだろう』って言って、私も『とりあえず増やす』ってぽんぽん押しただけだよ?」 「その雑さまで含めて価値なんだよ」 「えええ……」 香穂は心底納得いかなそうな顔をする。 「だって失敗したやつもいっぱいあったよ? インクが滲んだり、ハンコがズレたり……」 「だからだよ」 ゲンが笑った。 「今のドラゴはホログラムも付いてるし、技術も制度も洗練されちゃってるからねぇ。逆に言えば、あの頃の『手探りで通貨を作ってた時代』をそのまま残してるものは、もう増えないでしょ?」 「……そんな大層なものだったの?」 「ジーマーで大層なものだよ」 ゲンは札から顔を上げ、香穂を見た。 その顔には、呆れとも感心ともつかない笑みが浮かんでいる。 「……ま、香穂ちゃんが価値を知らずに財布へ突っ込んでたって話も、なかなかアレだけどねぇ」 「だって、千空が非常時用に入れとけって言うから……」 ハッ、と声を上げて千空が笑う。 「間違いなく非常時用だろ?」 「莫大すぎ!急に旧世界での1億円が必要になる非常時ってナニ!?使えない!」 「現行の1万ドラゴは、価値があるから使える」 千空はそう言って、手元の紙幣から香穂へと視線を移した。 「こいつは、使えるから価値があるんじゃねぇ」 千空は何も言わず、香穂の顔をしばらく見ていた。 ほんの一瞬だけ、その目が細められる。 「もう二度と作れねぇから価値がある」 そして千空は、香穂の手元へ紙幣を戻す。 「……まあ、テメーが持ってる理由は、それとは別だろ」 「?」 「テメーの思い出だろ」 香穂は少しだけ目を丸くした。 「……うん」 「だったら、市場がどうであれテメーにとっちゃ100ドラゴ以上の価値がある。それでいいだろ」 「…………」 香穂は紙を見つめる。 あの日、何枚も何枚も押したハンコ。 何度も失敗して、笑って。龍水に「これでいい!」と言われて、最後には勢いだけで完成させた、たくさんの紙。 「……そっか」 香穂が、そっと笑った。 「じゃあやっぱりこれ、思い出のお守りかな」 「そういうこった」 「……でも!」 香穂が急に顔を上げる。 「だったら最初に言ってよ!もう怖くてお財布に入れられないじゃん!」 「ククク」 「千空ぅ!」 「ハッ。テメーが100ドラゴだと思って雑に使おうとするとは思わなかったからな」 「だって知らなかったんだもん!」 「はいはい。夫婦漫才はその辺にして」 ゲンが二人の間に割って入る。 「ところで香穂ちゃん、それ、今後は絶対に人前で出さない方がいいよ」 「うん、そうする」 香穂は恐る恐る紙を財布の一番奥へ戻した。 「持ち歩かねえって選択肢はねえのかよ」 「……いまのところ、ない」 「ほーん」 その様子を見ながら、ゲンはにこにこと笑っている。 「いやぁ、まさか香穂ちゃんが自分で市場に出しちゃうとは思わなかったなぁ」 「……?」 ゲンは笑顔のまま、コーラを啜った。 「なんでもないよ」 もちろん、香穂は知らない。 このプロトタイプドラゴが市場で異様な高値をつけるようになった裏側には、外交官あさぎりゲンのちょっとした暗躍があったことを。 さらに言えば、千空もその事実を知っている。 オークション会場で、龍水たちと一緒になって面白がって眺めていたことも。 そして──── 「……そういや千空ちゃん」 「ん?」 「物置のアレ、香穂ちゃんには言わなくていいの?」 「まだいいだろ」 「だよねぇ」 二人は意味ありげに顔を見合わせる。 石神家の物置の奥で、厳重に保管されたコンテナの中には、石神村に残されていたプロトタイプドラゴが、複数枚眠っている。 その価値を現在の市場価格で換算した額を香穂が知れば、確実に卒倒する程度には洒落にならない。 だが制作した当の本人は、それを知る由もなく。 「ほら、香穂。メシが冷めるぞ」 「うん」 「そっちの紙切れより、今は目の前のメシだ」 「紙切れって言った!」 「ハッ。事実だろ」 「もう!」 いつものように言い合う二人を眺めながら、ゲンは小さく笑う。 ────まあ。 本人が知らない方が、平和なのかもしれない。 今夜も石神家には、穏やかな食卓が続いていた。
オークション編>>>

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