前回までのあらすじ! 大変たいへーん!村人Aに掴まれた腕が腫れちゃった! 石神千空氏からありがたいお言葉を賜って大興奮! ……でもそんなことより、わたしの認識ネギなんだけど??どういうこと!?

【3】今日はネギじゃなくて大根か

石神千空氏から、冷やしとけのお言葉を賜ってから数日。 腕の腫れはなんとか引いたが、まだくっきりとあのクソ男村人Aの指のあとが残っている。 腕を見るたびホラーでしかないので、ずっと長袖を着るようにしていた。 フォルダには一応毎日、経過観察の写真を残してはいたが、あの日以降石神千空氏から連絡が来ることもなく、わたしからも連絡することはなかった。 そもそも世界の偉人に痣の写真を送りつけまくる女なんて、どう考えても電波ちゃんでしかない。 わたしにも常識があるのだ。やったらアカン、の線引くらいはできる。 そんなことを思いながら帰路についていた。 今日は大根が安かった。 夏に大根が安いなんて奇跡でしょ!べらぼうに辛い大根をおろして、そうめんに入れて食べるのだ。 最高じゃあないか。冷蔵庫にビールあったかなあ。 でも大根1本まるまる買ったのは失敗だった気もする。 たぶん、半分で良かった。一人暮らしの夏大根1本。なかなかハードなノルマになってしまった。 もう夕方は過ぎているのに、路地裏はまだ明るい。 右手には石神千空氏のラボ。 白く大きな建物を横目に、わたしは上機嫌で歩いている。 ラボのまわりを囲む低木にはピンクの花が咲き始め、芝生の緑と白い建屋によく映えていた。 「お?ネギか」 視線の端に白っぽいなにかが横切った。 なにか聞こえたような、聞こえてないような。 そもそも屋外で、お?ネギか?なんて単語は、 畑で、やあ!お隣さん、何植えてんの?お?ネギか! というシチュエーションでしか使うことはない。 「無視か?」 今度は後ろから聞こえてきた。 「おい、ネギ」 「……」 立ち止まって、一応後ろを振り返る。 まあ十中八九わかっていた。 缶コーヒー片手にした石神千空がそこに居る。 しかもトレードマークの赤マントに白衣だ。 見紛うことなき石神千空氏。いや石神千空博士。すごい、本物だ。 この間は普通のワイシャツにペイズリー柄みたいなネクタイしただけの青年モードだったから、アッ、この人どっかで見たことある!くらいの認識だったのだ。 さすがにこの出で立ちは石神千空って分かるわ……。 「ネギってだれですか」 「テメー」 まあ、そうでしょうね。 「アッ、ドモ、コンチャッス」 ペコリと頭を下げる。 ほらみろ先日の写真送付はメッセで大正解だったよ! 完全に博士モードな本人目の前にしてこの対応よ。電話でまともに喋れるはずがない。 「あれから腕どうだ?」 博士氏は缶コーヒーを持ったままこちらへ近づいて来て、わたしの左腕に視線を向ける。 「まあまあですね」 「見せてみろ」 「……」 あまり気分の良いものではなかろうが、すでにパンパンに腫れた腕まで見せてるのだ。 今更だろうとブラウスの袖口に付いたボタンを外し、長袖を捲くる。 ようやく端のほうが黄色み掛かった色になり始めてきたが、まだ赤黒さと指の形がはっきり見える跡を見て、石神千空氏が眉を顰めた。 「……」 「だいぶマシになってきましたよ。ちょっと前までホラー映画みたいな色だったんで」 長袖で隠せる範囲ならまだいいのだ。 缶ビールぶん投げられたときは思いっきり目の横に当たって、あのときはコンシーラーを何本使ったか分からないほどだった。 画像加工した顔をリアルに貼り付けられたらよかったのに。 「……十分警察案件だろ」 「まあでも、今のところは腕のこれくらいですし」 事実だ。石化前ならともかく、石化後は“まだ”これだけなのだ。 石化前だって相談窓口には何度か行った。でも「実害がないとねえ」で終わり。 結局、警察まで話が届くことなんて一度もなかった。 復興後だって似たようなものだろう。 もう少しデカいなにかでも起きれば、早急にどうにかしてもらえるのだろうが、そこに至るまでに無事でいられる保証なんかない。 だから逃げ切るしかない。 実際、石神千空氏に割り込んでもらってから、村人Aとは遭遇していない。腕の痣以外は平和なものだ。 お互いしばらく無言だった。 こんな赤の他人の、リアルな被害状況的なものを見れば無言にもなるだろう。すまんね、博士氏。 捲った袖は、もういいかなと、手首まで戻した。ついでに、ずり落ちてきたエコバッグを肩に掛け直す。 痣もいくらか消えてきた。 今まで住んでいて、博士氏とすれ違うことすら無かったのだ。 もう、会うことも連絡することもなかろう。 そもそも一般人が、気軽に連絡していいような相手じゃない。 でも!もらった連絡先は記念に残させてもらいますが!!機種交換したって消さないぞっっ!! 「じゃ、そんなかんじなので。お世話になりました。また逢う日まで」 「……待て」 颯爽と去ろうとしたが、すぐに止められる。 「帰るんだろ?」 「そうですけど」 「家どっちだ」 こっちですが、と進行方向を指差す。 「まだストーカー案件片付いてねえんだろ。送る」 博士氏を見る。 缶コーヒーは既に飲みきったらしく、近くにあったゴミ箱へ捨てた。 そのまま赤マントと白衣を脱いで、小脇に抱えて歩き出す。 送る?なにを?どこへ?だれが?だれを? 「はっ??えーーー!?」 「帰り道のついでだ。気にすんな」 送る??わたしを??石神千空が!? 「なんだ」 「イエッ、アザマス」 わたしの横を博士氏が歩いている。 うまく歩けているかわからない。右手と右足が一緒に出てる気がする。 「今日はネギじゃなくて大根かよ」 エコバッグから飛び出した大根を見て博士氏が笑った。 「デカくねえか」 「半分で買うより1本のほうがトータル安いんですよ。まあ、ひとりで食べるには多かった自覚はありますけど」 「ひとりで今日全部食うのかよ」 「いやそんな一日で全部食べられませんよ!?今日はおろしにしてそうめんで食べるんです」 「薬味か」 「ミョウガも入れます」 「悪くねえな」 他愛もない話に付き合ってくれる石神千空氏が意外で、彼も年相応の青年なんだと知る。 ネットやテレビで見る石神千空氏よりずっと普通の人だった。 あの角を曲がればもうアパートが見えるという所まで来て、わたしは足を止めた。 いる。 アイツだ。 見間違えるはずない。 ガードレールに腰掛けて、タバコを吸いながらスマホをいじっている。 旧世界でもわたしを待ち伏せするときはいつも同じ様子で張っていた。 なんで? この間遭遇したのは、こことはまったく違う道だ。どうやってここが知られたのか。 ここ最近静かだったのは、まさかわたしのアパートを探してたから? 一歩、二歩と後ずさりした。 「あ、あの、わたし買い忘れ思い出したんで!戻ります!!ありがとうございました!!!!」 「は?……おい!」 声が裏返ってしまったがそんな場合ではなかった。 アパートは目の前だ。でも部屋までは把握してないはず。 あのまま帰っては確実に遭遇する。それだけは何としてでも避けなければならない。 親切に送ってくれた石神千空氏を、その場に置いて走ることしか出来なかった。 息を切らしながら駅前のネットカフェへ駆け込む。 震える手で申込書を書き、個室へ飛び込んで鍵をかけた。 ああ、今日はおろしそうめん食べようと思ってたのに。

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