春編【1】条件揃や爆発すんぞ <2>
社宅に戻ると、千空さんは一度着替えに戻った。
そしてなぜか今、我が家のリビングでノートPCを立ち上げ、カレーが完成するまで仕事をしている。
いや、たしかに冬に鍋をしてから、何度かうちでご飯を食べることはあった。
……あったけど!!
いや、偶然!!偶然ってやつ!!わざとじゃない!!
家で仕事してる方が捗るもんじゃないの?カレー出来たら呼びますよって言ったのに、二度手間だって言うし。
千空さんが普通にリビングに居るってだけでも違和感がすごいのに、胡座かいて、ものすごいスピードでキーボード叩いてる様子がプラスされて、もはや異次元だ。
カパッと軽快な音を鳴らしツナ缶を開封する。そのまま鍋に入れていると、千空さんがPCから顔も上げずに話しかけてきた。
「肉も入れて、ツナ缶も入れんのか」
「ツナ入れると美味しくなるんですよ」
「さっきはキノコも入れてただろ。旨味成分ブチ込みまくりだな」
「なんとか酸とかですよね?そんな科学的な意図では入れてませんよ?」
「ツナのイノシン酸、キノコのグアニル酸。あとは玉ねぎのグルタミン酸だな。どれも旨味成分だ」
鍋をゆっくりかき混ぜる。
「昔からこれなんです」
「家の味か」
コンロでは鍋の中のカレーがクツクツと音を立て始めた。
火力を弱めて、もう少し煮込もうとつまみに手をかけた時、ピリリリと甲高い着信音が部屋中に響く。
「花梨、鳴ってんぞ」
リビングの隅に置いてあるカバンのなかで、社用携帯が鳴っている。
「あー、社用ケータイの方ですね。こんな時間に誰だろ?」
営業職に平等に渡される社用携帯は使いやすさを重視した二つ折りタイプだ
。電話と簡単なショートメールしか使えない。
職場に置いてくることもあるが、今日は直帰だったのでかばんに入れたままだった。
時計はすでに20時を回っている。緊急かもしれないことを考え、慌ててかばんから携帯を取り出す。
「……登録ない番号だ……誰だろう」
「とっくに業務時間外だろ」
「うーん、でもトラブルで保守に繋いで、とかたまにあるんですよね……」
OA機器などを法人契約する営業職に就いているため、名刺には携帯番号が記載してある。
そのため登録のない番号から着信があることも多々あった。
わたし自身は営業なのでメンテナンスは担当外だが、故障したから担当に繋いでくれ、なんて連絡が入ることも珍しくない。
手の中の社用携帯は鳴り続けている。止まる気配のない着信にしかたなく通話ボタンを押した。
「はい、岩瀬です」
『……』
「……もしもし?」
『……』
「聞こえてますか?」
『……』
無言のまま、プツと音を立てて通話が切れる。
「どうした?」
「……また?」
「また?」
「いや無言電話で……」
こんな時間に掛かってきたことはなかったが、勤務時間内に無言電話が掛かってくることが最近増えた。
どれも違う番号なので、とりあえず取ってみると無言で切れる。
「また、ってことは他にもあんのか?」
「え?」
「無言電話」
「……あー、最近何回か」
「勤務時間外まで持って帰る必要あんのか、その端末」
「……ないですね」
「なら職場置いてくるか電源切っとけ」
それもそうだ。なにも律儀に繋いでおく必要はないんだ。わたしは素直に社用携帯の電源を落とした。
2026/07/23
2026/07/23