冬編【1】うちで鍋しませんか?<3>
グツグツと煮える鍋から白菜をつまむ。もう少しくたくた白菜の方が好きだが、なにせ時間がなかったのでしょうがない。
でも白菜と肉を、ミルフィーユ状にしておいてよかった。白菜をつまめば肉も一緒についてくる。
肉だけ先になくなる悲劇を防ぐための、先人の知恵だ。いや、たぶん肉のための知恵ではない気もするけども。
鍋に手を伸ばす際「直箸でも良いですか?」と聞くと、千空さんは「鍋だぞ?」と返してきた。
うん、たしかに、鍋だもんな。問題ないか。
しかし次に続いた言葉に、伸びた手が思わず止まる。
「テメーが風邪菌でも保菌してりゃ、地獄の風邪菌培養鍋になるがな」
最悪すぎる。
旧世界でもあったなあ。
忘年会でみんなで鍋を食べたら、ひとりが季節性の風邪菌の保菌者で、そこから鍋メンツみんな共倒れしたこと。
そのせいであの時は、年末年始寝込んで終わったんだよね。しょうがないんだけども!!
でもあれ、体調悪いって分かってて参加してたのはギルティすぎ。石化して復活しても、まだ許してないからね!!
「……とりあえず元気です」
「俺も問題ねえ」
なんとなく、風邪菌がいたとしても煮沸できたらいいなと、少しだけ火力を上げた。意味ないけど。
「千空さん、普段鍋とかしないんですか?」
煮えた水餃子をつまみながら、千空さんに疑問を投げかけてみる。
「しねえ。そもそも自炊してる暇がねえ」
おたまで汁を掬っていた千空さんが答えた。
「ああ…」
聞けば、お風呂と寝るくらいにしか部屋は使ってないそうだ。
帰りが早いときに買ってきた夕食を部屋で食べたり、カップラーメンを食べたり、そんな程度らしい。
THE一人暮らしだな。
「……秋にテメーにもらったナス。やたら美味く感じたな」
「え?調味タレ様様のやつですか?」
「あれはあれで、科学的に最適解踏んでるからな。時短で、なおかつ味も美味え」
そう言いながら千空さんが、肉をつまみあげる。
……おい博士氏。肉だけをつまむな肉だけを!!
なんのためにミルフィーユ状にしたと思ってるんだ!野菜も食え野菜も!!
「石神村では、村の連中と鍋だのなんだの囲んで食ってたがな……」
え、石神村??
すご、もしかしてストーンワールド時代の話?
「……ビールもあったんですか?」
「さすがに石神村にゃ、ビールはなかったな。日本酒とワイン、焼酎か。あそこの連中は酒飲みしかいねえから、原始の生活してたクセにやたら酒だけは発展してたな」
あちぃ、と言いつつ、はふはふ食べる千空さんをぼんやり眺める。
わたしが復活するずっと前から、この人は走り続けていて、今もなお走り続けている。
そんな決して遠い昔ではない話を、世間話のように話す姿を見ているうちに、本でしか知らなかった過去が急に現実味を帯びた。
ただの科学者じゃないんだ。
本当に世界を救った科学者なんだ。
少し泣けてきた。
酔いが回ったのかもしれない。
涙をこぼさないように唇をキュッと噛み締めていると、千空さんの赤い瞳がこちらを射抜いてくる。
「……なんで泣いてんだよ」
堪えたつもりだったが、どうやら雫が落ちているらしい。
「泣いてないです。湯気が染みただけです」
「アホか。湯気はただの水だ。涙腺刺激する成分なんざ入ってねえわ」
鼻をすすりながら、無言で鍋をつつく。
「……なんか、千空さん、ほんとに世界を救った科学者なんだなって思ったらら泣けてきちゃって」
「もう酔ってんのか。まだひと缶も空いてねえぞ」
「……そうですね、ほんと、酔ったのかも」
千空さんはすぐには答えず、缶ビールをひとくち飲む。
「……俺が救ったわけじゃねえ。俺だけじゃ出来ねえことだらけだからな」
ぽつりと千空さんがこぼす。
「この鍋だってそうだろ」
「鍋ですか?」
「テメーが誘って、テメーが用意したから、俺は今、鍋にありつけてる」
「水餃子は千空さんが持ってきたんですよ?」と言うと「水餃子なんざオマケだわ」と返ってきた。
「……出来ねえことは出来るやつに任せる。そうやってここまで来ただけだ」
しばらく鍋がクツクツと煮える音だけが部屋に響いている。
「……千空さん、肉ばっか取ってません?」
「取ってねえ。豆腐も食ってんだろ」
千空さんの器を見た。
いや、どう見ても肉肉肉肉豆腐じゃね?
「比率おかしいですって」
「肉追加すりゃいいだろ。そこに足し分あんじゃねえか」
「……ありますけど、なんか肉だけ足すのって、負けた気がしません?」
千空さんはわたしの返事なんか聞かずにドボンと肉を追加する。
「あああ!!肉全部入れちゃった!?」
「ケチケチすんな」
「それ、わたしが言うセリフですから!?」
千空さんは雑に肉をほぐし火を通すと、わたしの器にも肉をどんどん放り込んでくる。
「ほら、手が止まってんぞ。肉も食え、ビールも飲め。早く食わねえとシメのうどんも入れんぞ」
「ええええ!まって!はやいですってば!ビールまだ1本ですよ!?もっと飲ませて!!」
「うどんツマミに飲めばいいだろ」
「無理無理!!!」
世界を救った科学者との鍋は、思っていたよりずっと普通で、そして思っていたよりずっと楽しかった。
2026/06/23
2026/06/23